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先週末にサッカーボールの通関が無事に済み、今週はボール個数の確認と検品を終え、東北へ向けての仕分け・発送作業が終了しました。5500個を数え、梱包して下さったボランティアの皆様、ありがとうございます。きっと大変な作業だったことと想います。 月曜日には、東北各地にボールが到着する予定です。http://www.nippagroup.com/ 

大船渡の知り合いから、「子供たちは紙を丸めて廊下で蹴ってサッカーの真似事をしています。 まだグランドでサッカーは出来ませんが、この地方はサッカーが盛ん な地域ですから、高学年の子供たちは大喜びすることでしょう」とメールを頂いた。日本の小学生男子たちが将来なりたいものの1位はサッカー選手で、60%もの数字だったのを何かの記事で見たことを思い出した。

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22日、5500個のサッカーボールを積んだコンテナが東京港へ到着したと。 
パキスタンから東北の被災地に、「1日も早い復興を願って」の思いが届きますように。 
通関その他もろもろで今週いっぱいは手続きにかかるかと思うが、「コンテナ入港」との知らせにはワクワクするものがある。物見高いオバハンは港での積み下ろしが見られなくて残念でならない。

オバハンたちの団体NWAパキスタンでは、山村の貧しい母子のための支援を日本の多くの方々から受けている。またパキスタン大地震やパキスタン大洪水でも、日本の皆さまからのご支援をパキスタンはたくさん受けた。中には石巻で津波に遭われたにもかかわらず、毎月のように今もキチンとNWAへご寄付を続けて下さっている方もある。そういう方々からの思いを受け止めた上、パキスタンからはサッカーボールに思いを託した。

ボールの配布は主な被災3県の体育連盟などを通して約300校に送られる他、被災地域のスポーツ少年団にも来月初旬にはお届け出来る。主な(大口)配布先へは直接お届けし、贈呈式をするそうだが、配布の手間暇、総経費を考えたら港から地方の配布先までは宅急便にする方が安いとかのアドヴァイスを受けた。世の中は便利になったものだ…

パキスタン(シアルコット市)の革製品と金属製品はムガール帝国時代に遡り、ヒンズー教徒が触れない牛の皮革を扱うイスラーム教徒によって防具や剣などを生産。今もなお革製品と医療用品(メスを初めとする医療機器)食器(ナイフやフォーク)を造る伝統的な町として栄えている。パキスタン(シアルコット市)のサッカーボールは世界シェアの70%を占め、アディダス、モルトン、ミカサ等々、世界の一流メーカーは総てシアルコットに工場を構えている。

4月も後すこしで終る。外気温がようよう40℃になって2階では寝苦しくなったが、夜間は気温が20℃を超えないこともあって1階ではまだ布団をかぶっている。こんなことは30数年で初めてのことだ。とは言え100年、200年、500年というスパーンで見れば度々あったことなのかも。

東日本大震災もそういったスパーンでは過去に何回かあったことなのだろう。なかったのは原発事故くらいで…
それにしても…大震災後の政府の手際の悪さ。地震から1ヵ月半も経って対応するために3つの組織を再編って…… 「地震・津波」「原子力発電所事故」「復興」の3分野というが、こんな会議ばかりをしているから現場での被災地支援が出遅れるのだ。じゃぁ今まで何をしていたの?って誰でも思うわ。
この半世紀、日本は世界中で起こった天災への支援を貴重な国税を撒き散らして(主にアメリカに対して)良い顔をして来たが、実際に被災者がどうなるのか、起こる2次、3次の被害などについては学習していなかったとオバハンには思える。
長期展望は必要だが、「被災者はきょうの暮らしに困窮する」との視点が欠けていた気がしてならない。
パキスタンでも近年は100年に1度と言う地震(死者8万)や洪水(被災者2000万人)に見舞われた。アチェの大地震を初め、世界中でどれだけの災害が起こったか… そして、それらに共通する病気や被災者の困窮は世界共通で判っていた筈なのにと、政府の無策ぶりに腹が立ってならない。
言い訳はどうとでも出来ると。 震災直後の緊急支援、いまは生活を立て直すべく中期支援、そして長期支援とあるが…さてさて、政府機能はうまく働くのか。

さてパキスタン。当地でのニュースは津波被災が影を潜め、福島原発一色になった。
日本の悪しき文化(馴れ合い)がこの事故を招いたと。当然、日本への支援金が当初のバザー分のみで、その後は集まらない。



この3日間、首都大統領官邸前では大規模な抗議集会が開かれて、急に暑くなった風に乗って政府やアメリカに対する抗議が自宅まで聞こえる。米軍の無人機攻撃では民間人が巻き込まれるケースが相次いだこと、ラホールで住民2人を射殺した米スパイがパキスタンによって審理されることもなく出国してしまったこと等、国民が反発を強めている。
集会は次期、首相の声もある元クリケット選手、「正義行動党」のイムラン・カーンで、「米国人と同じようにパキスタン国民にも人権がある」と訴えている。 「正義行動党」は国会に議員を送り込んでいない小さな党だが、若者らに広く支持されている。もっとも年配者たちは彼の結婚などバックワードについて、あれこれと言い支持する人は少ないようだ。 
しかし、数々の問題のあるアメリカの駐留に対しての反米集会は(暑い中にもかかわらず)政党や宗派を問わず多数の市民らが参加したというのに国民の思いが反映されていると確信した。なにしろ自宅で居ながらにして3日間も彼らの集会を聞いていたから、集会内容には納得が出来たわ。

福島原発の事故は原子力発電史上、最悪の事故として知られるチェルノブイリ原発事故の規模と並んだ。
予測されていたこととは言え、福島原発近くに暮らす(暮らしていた)方々の心中を思うと、単に気の毒という言葉では済まない。
福島原発1号機爆発から丸1ヶ月もたって、ようやく政府は「広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、国際的な基準に基づく事故の評価を、最悪の「レベル7」に引き上げることを決めたと。原発近くに住む方々が激怒されるのも当然だ。
「ただちに健康への影響は出ない」「ただちに出ない」「ただちに出ない」といい続け、それはそれで日本語としては正しいのだろうが、この1ヶ月間は何だったというのか…。オバハンですら政府(原子力保安院)には怒りを隠せないでいる。毎週送られてくる週刊誌文春、新聞やネットでは読めない政府や原発関連の記事が満載されているから重宝しながらも、先月末からは無力感だ。

友人が3日前に、「浜岡原発2号機は東海地震に耐えられない」という記事読みましたか?と、物凄く怖いメールを送って来てくれた。これは福島原発だけではなく、日本人全体が知っておくべきことだと思うが。
日本にある火山が活動し、大きな余震というものが続いている今日この頃、日本近辺の地殻がどうなっているのかと案ぜられる。中部地方に近い関西圏に家のあるオバハン、東海地震がいつ来てもおかしくない中で、浜岡原発の設計に携わったという方の告発をどう受け止めるか。 
http://www.mynewsjapan.com/reports/249

地震当日から案じ続けてていた気仙沼に住む学生時代の悪仲間の生存が、青森に住む友人からようやくもたらされた。しかし日パ旅行社でオバハンの相方を務める大住の親戚は、石巻で4人もの犠牲者を出した。海苔とホタテの筏も船も無くし、銀行が遠いからと自宅に置いていた現金も、もちろん流れたと…  (自分の目で見たのではないが)「敗戦直後の壊滅的な日本の出現やなぁ… そう想って頑張るしかないのかねぇ」と、互いに言い合いながら、今までに見てきた数々の被災地がオーバーラップする。
敗戦直後の日本と同じように、ゼロからの出発を余儀なくされる企業や人がいったい何十万人に上るのだろうか… 考えてみれば、これは偏に東日本だけの問題ではなく、まさしく日本全体の問題でもあろう。

天災・人災を含め、今まで何度も被災地へ入ったオバハンたち。パキスタン大地震直後の被災地バラコットでは、津波後のように壊滅した建物の下に埋まったままの犠牲者たち、そこでは強烈な死臭が漂い呼吸もままならなかった……  1日1食すらも手に出来ない多くの被災者たち。負傷して傷口が腐ったままで治療も受けられない人々、その地獄絵のようなありさまが今、東日本の多くの場所で現われている。

過日、当地イスラマバードでも被災者支援のチャリティ・バザーを催した。その際、国際通信社APFから借り受けて展示した何枚もの大きなパネルの中に、雪の中、壊滅した家の前で膝つき手探りで涙しながら母親を探す男性の写真が心に迫った。なんと切ない写真であろうか…と、オバハンは正視できずに涙してしまったが、被災直後の地に足を踏み入れたことがない人、被災した経験のない人には、何枚ものパネルの持つ意味は、なかなか届かないようだ。

日本を初め世界中で「支援」の輪が広がっているが、この震災は日本国民の総てに大なり小なり影響を及ぼす国難だろう。世界に比べればダントツに豊かな日本だったが、少しづつ痛みとともに国民全体も今までとは異なる生活を共有していくことになるのであろう。日本が今まで恵まれ豊かすぎたと再認識し、不平不満を言うことなく過ごしたいものだわ。

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