カテゴリ: 地震支援

2005年10月8日に発生したパキスタン北部大地震から今年で5年目となります。
世界各地で大災害が頻発する今、改めて当時を振り返り、支援のあり方を考え、復興に向けて力強く生きる人々の姿をお伝えしたいと思います。たくさんの方々の参加をお待ちしています。

日時:4月10日(土)15時から17時
場所:目黒さつき会館・大会議室  東京都品川区西五反田3-2-13
講演:督永忠子(現地代表)
   田城薫(たしろかおる・当時の現地責任者)
資料代:1000円
お問い合わせ:特定非営利活動法人 日パ・ウェルフェアー・アソシエーション 電話:03-3442-6170(経費超節減のため、よそ様の事務所に電話を置かせて頂いているだけです。常駐のスタッフはいませんのでお返事は遅くなります) 事前にお問い合わせいただければ助かります。

陽射しが春めいて降雨もないことから土砂崩れの心配も無いと、1月下旬は久々に大地震の被災地へ行っていた。まだ明けやらぬ朝に事務所を出て、明るくなった頃に道端の茶店で白い息を吐きながらパキスタン式の朝ごはんを食べるのも災害時と変わらなければ、その後、帰宅までの10数時間、食事なしで居るのも被災地通いをしていた4年前と、なんら変わることはない。
事務所のスタッフは2ヶ月に1回くらいは村のセンターへ通うが、この時期は村への山道を上がれないので、オバハンたちはバラコットまでだけにした。

しかし、この1年ばかりで激震被災地のバラコットにも観光客用のホテルが幾つか再建され営業を始めていたし、全壊滅した丘の上の家々もコンクリートやブロックで再建されていた。レッドゾーンである地域での建設は政府によって禁止をされていたのだが、代替地のニューバラコット市には道路が建設されたのみで、何のインフラも出来ていないのだから移り住む気にはなれないという。さもありなん…

被災地の家族たちはそれぞれに元気だった。額に裂傷を負っていたナシマも14歳になり、オバハンより背が高くなっていた。相変わらず家は僅かなトタンを葺いただけでドアもない掘っ立て小屋だし、この寒さの中で働き手も無く、どう暮らしているのかと思いながらも、聞いてしまえば要支援に決まっていると想い、怖くて聞きそびれてしまった……。
テント村に来ていた12~14歳の美少女たちは結婚したり、近々する予定の者ばかりだ。3月は結婚式の季節だ、是非、出席してくれと医療テントを張らせて貰っていた家の家族たちにも懇願されたが、3月は忙しい…(その中の1人が、きょうはイスラマバードまで来たからと、事務所へ寄ってくれた)。 しかし、彼女たちの花嫁姿も目にしたいものだ、どんなにきれいだろうか。

早いものだ… パソコンの前で椅子の肘掛を握り締め、歯を食いしばって耐えた2分間、あの恐怖の日から3年も経ったのか。 とにかく怖かった。 家が倒壊、目の前で家族を亡くした人々の恐怖は一生涯トラウマとなって残るのであろう。

今年になって諸物価は値上がりにつぐ、値上がり。 現金収入に繋がらない山村での暮らしは大変だと思う。日パ・ウエルフェアー・アソシエーションは被災地で相変わらず、細々とした支援を続けているが、不思議なことに被災地での人件費は高く、なかなか現地の人たちと折り合えない。 復興支援の工事請負会社でも道路や病院、橋、学校など等の作業員の多くを人件費の安い平野部から連れて行く。 結局は被災地に現金は落ちない。山間部の人たちの思考回路(平野部の2倍料金)が、いまだにオバハンには理解が出来ない。

政府からの被災者見舞金も終った、この冬を被災者たちはどう過ごすのだろうか?

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イラクのバグダッドにまで100年ぶりの雪を降らせたという今冬の空、当地も先週の1週間に続き、今週も雨3日。今年に入って半分以上が雨空だ。
しかし1月も半ばになり、久々に晴れたきょうの空は春色に変わった。空は春色でも、地震被災地のカシミールやバラコットの山奥では大雪、イスラマバードからの家並みの遠く東側には真っ白な山々が望める。山村は今から春にかけてが雪深い。

通常、山村の子どもたちは(大人も)着替えがなく、一冬を垢まみれのまま着たきりで過ごす…。で、冬も半分が過ぎた今、通学する子どもたちへの防寒衣料を購入するというので、久々にラワルピンディの街へNWA(日パ・ウエルフェアー・アソシエーション)http://www.pat.hi-ho.ne.jp/nippagrp/pakistan.htmのボランティアたちに連れられて行った。

元々が、世界中から集まって来る中古の衣料品。地震のあった冬から比べると平均3~4倍高の値段。まぁ通常は、こんな程度の値段だとも思えるが、地震直後が安かっただけに、なんだか高いなぁ~と愚痴が出てしまう。
とりあえずは、通学してくる年齢に応じた防寒着を200枚ばかりを揃え、ついでに自分用にも1着(200円)。

パキスタン大地震から丸2年、早いものだと思う…
2年前のあの時間も、こうしてPCに向かっていた。そして後20分足らずで、その時間になる。
地震の瞬間は椅子の肘掛に必死で掴まって強張ったままだった、レンガ造りの脆さを知っているだけに恐怖は増幅されたと言える。

地球は生きている、動いている… そして被災者たちも過酷な現状を跳ね飛ばすべく、生きている。
皆さまからのご支援金で建てているコミュニティー・センターは、学校としてだけではなく村人の結婚式などにも使われ出している。村人たちが有効に活用してくれるよう、オバハンたちもボチボチとサポートを続けるつもり。

それにしても、2004年末のインドネシア沖の地震・津波を初めとし、今世紀に入ってどれだけの大地震があったか… 先のスマトラ島地震では行政が主導して日常的に避難訓練が繰り返えされており、被害を最小に食い止めたと。マグニチュード8,2などという大地震にしては、死傷者が少なく、不幸中の幸い??だったというから、パキスタン大地震で被災した人々にも日常的な心構えや訓練は必要だと思うが、今のパキスタン政府はそれどころではないしな……

未だに被災地の崩壊した建物の下になり、亡くなっていた犠牲者たちの足裏が目に浮かぶ…
地震で亡くなった多くの人々の冥福を祈ります。

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