カテゴリ: アフガニスタン

今回の日本滞在はちょうど1ヶ月もあって…長かった。何時も思うが…やっぱり日本(特に電車の乗り降りなど移動は)落ち着かん、まったく苦手だ。 
しかしながら今回の滞在では、ウチ(日パ・ウエルフェアー・アソシエーション)の理事が夏の参院選に民主党からの公認で出馬もするし、頑張って手伝わなければ…と、気持ちだけは忙しかった。 アフガンで5年間もオバハンの「弾除け」をしつつ、我儘なオバハンの「お守」が出来た人だから、どれだけ人柄が良く我慢強いか分かるというものだ。
 
日本はアメリカの言うままに莫大な支援金をアフガンやパキスタンへ出す。
民生支援という美名の下に出されるアフガンへの支援金は、日本が全世界に使う無償資金協力の6割りにも達する7000億円だ。6割よ、6割~~~ そして、その支援金の使われ方を日本政府自身が検証することも中々ままならない。欧米諸国の中には、アフガンやパキスタンでの「事柄を検証」するための政党事務所をイスラマバードなどに設けているところがある。総計7000億円もの支援金を出すのであれば、政権与党も可能な限り「その使われ方」を追うべきだ。

日本から何人ものセンセイ方や、おエライ方々がアフガンやパキスタンへは来られた。だがいずれもが数時間から2,3日。長くて10日間で、アフガンやパキスタンの何が見えると言うのか!!!!
アフガンやパキスタンの現場を知っている人は僅少だ。やはり、現場を知っている人が国政の場でモノ言わなくっちゃね!!と言う訳で、オバハンはウチNWAの理事が国政の場で活躍してくれることを念じて必死で応援している。

4月末は雪の舞う札幌・小樽。5月10日は40℃のイスラマバード。暑さに身体が追いつけなかったが、ようやく慣れた。活動開始! とは言うものの、毎日、異常に眠いのは何故なのか???

アフガンで日本人が行方不明となって2週間になる。この間、耳目を尖らせていても目新しい情報は無い。大体が…フリー・ジャーナリストが誘拐・拉致される前々日までだったか、アフガンで一緒にいたという日本人から話を聞いた段階から、オバハンには「話の内容」が納得いかなかったものな…
言っちゃ悪いが…オバハンもアフガンやパキスタンで取材の手配をし、30年間も生き抜いて来ている。矛盾がなく納得できる話と、矛盾に満ちた話の行く先くらいは想像が出来るわね。まったく…ね。

アフガンのカルザイ大統領は、先月末くらいからアメリカ様に対してなかなか挑発的だ。カルザイがアメリカに対してヘソを曲げている最大の原因は、昨夏の大統領選挙における「カルザイ降ろし」であり、その後、カルザイが指名した閣僚24名のうち17名を国会で不信任とされ、大統領としても力量を否定されたことにもあるのだろう。 知り合いの国会議員は、「自分の考えだけで不信任投票をしたのではない。強大な力に負け不信任投票をした」と言っていたからな。これにもアメリカから出た莫大なお金が動いている。
というような、幾つもの理由でカルザイがヘソを曲げるのも分かるが、言うに事欠いて「タリバーンに合流するかもしれない」だと。

まったくなぁ…自分で自分の首を絞めてどうするのだろうか? アフガンといい、パキスタンといい優れたリーダーに恵まれないのはアッラーの恩寵がないからであろうか? 優れて自立心もある人物ならば、簡単にアメリカ様の言いなりになるまいであろうし、アメリカもそういう人物を国のトップには据えまいから、我々は実に不幸だとも言える。

アフガンで日本人のフリー・ジャーナリストが行方不明となって1週間になる。
フリー・ジャーナリストが誘拐・拉致される前々日までだか、アフガンで一緒にいたという人からも直接話を聞く機会を得た。また、反対に(差し障りがあるから)外務省関係筋(ということにしておこう)からも話を聞いたが… 聞けば聞くほどオバハンには腑に落ちないことばかりで、この数日間は頭をひねり続けている。
一部報道では、「反政府勢力タリバンの司令官がああ言った、こう言ったのを聞いた」という記事で、直接的には犯行声明も出ていない模様。「政府による解放交渉が始まった」という報道もあるが、それ自体も本当か、どうか怪しいとオバハンはこの2日ばかり想っている… 

アフガンのタリバーンは、かってのように1枚岩ではなく、今や「20~30枚岩となっていそうだ」というのは以前からこのブログでも書いているが。それにしても(正統派)タリバーン指導部には伝わっていないというから、なにから何まで不思議なことばかり。

一応、人命に関わる事柄だから軽々しく動けない、そしてコメントを出せないのは解るが……。

またアフガニスターンで邦人が行方不明になっている。行方不明になった人、そして日本大使館へ「連絡」をして来たという人ともに知らぬ仲ではないので案じられ、昨日は朝からアチコチへ連絡を入れて状況を聞ていた。TVのニュースでは鳩山首相の奥歯にモノの挟まった言い方を聞き、まずは身代金狙いの可能性を感じ取ったオバハンだ。
徐々に状況が判って来た昼前、タリバーンに深く食い込んでいる知り合いからの電話で、「タリバーンは、この誘拐・拉致に関与していない」と言っていると。 で、それを聞き、ああ、やっぱり(正規の)タリバーン以外の武装勢力、あるいは武装強盗群に拉致されたのかも…との思いを深くしている。

しかし問題は、邦人と共に2週間も行動を共にしていたアフガン人が、誘拐・拉致された現場クンドゥズの町からカーブルへと帰って来ているという現実だ。誘拐・拉致したグループの情報を持つ人、また、それらとの交渉に介添えをするべき人が「現場」を離脱しているということだ。
アフガンで誘拐・拉致の交渉をする人は文字通り命がけだ。1年ほど前だったかな? カーブルから3時間ばかり南ガズニの町で韓国人技術者が2人だったか3人だったか拉致された。(2年ほど前に20人余が拉致された統一教会とは別件)
その折の、韓国人技術者たちを解放する条件の一つに、アフガンに駐留している韓国兵の撤兵というのがあった。一応、韓国は撤兵をしたようだが、撤兵をした直後の昨年末だったかに、韓国政府は改めて増派の決定をしている。アメリカに追随をするアフガン地方復興チーム(PRT)としての増派であっても派兵は派兵であり、人質解放交渉の表に立った現地の人はメンツを潰されたわけだ。当地の常識から行けば交渉の仲立ちをした人は殺されても文句は言えまい。また、タリバーン側としても黙ってはいない気がするが。

今回の邦人行方不明も、今後はどうなるのか判らないが… 解放交渉の矢面に立とうという現地人を捜すのはなかなか大変だろうと危惧している。いずれにせよ早い解決が見られるようにと祈っているが。

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ご無沙汰を致しております~  しばらくブログの更新をしていなかったから、自分のパスワードを忘れた!

イスラマバードはこの2週間でしっかり暑くなり昼間は35℃にもなる日が出て来た。とは言え乾燥しているから、とても気持ちの良い暑さだ。夜間にはまだ毛布くらいは欲しい気温で、年間を通して一番良い気節だ。3月に入ってからは街路樹が順繰りに花を付け、夜気に漂ってくる花の香りは素晴らしい。起きて事務所にいるときも、寝ているときも花の香りに包まれている素晴らしさ。
そして今春まで気がつかなかったのだが、10年くらい前にジンナーパークの外側一角に植えられた梨の樹、数十本が一気に花開いた3月半ば。清楚な梨の花は桜の満開よりは数段すばらしいと、オバハンには思えた。
リンゴの花をやや大ぶりにしたカチュナールや、ブラシ・ツリーなどもここ数年は1ヶ月も早く花をつけている。温暖化、温暖化という割には、年間を通した気温は10年以上前に比べると低いし、不思議な現象だ。

3月末から4月にかけてはNWA(日パ・ウエルフェアー・アソシエーション)の総会。SORA(アフガン難民を支える会)の報告会などが日本である。
アフガンでは2006年くらいから危険度が上がり、現地へ赴くことは極力避け、イスラマバードからの遠隔操作で2つの識字(英語と算数も含む)・縫製教室と、ワルダック県でのリンゴの植林だけに絞っているから、活動は超細々になっている。が、超細々とした活動でも、これを停止してしまえば生活できなくなる人が居るから、止めるわけには行かない。 特に米軍の誤爆によって一家8人を爆殺され、喰い盛りの子供たちを抱えて未亡人になった女性オリファなどは、たちまち生活が困窮する。もっとも生活困窮者はオリファだけではないが……

3日前にカーブルから届いたメールによれば、2002年春からの縫製教室では3000人近い修了生が出て、そのうちの20%が縫製内職や仕立て屋で生計を立てているという。(写真は内職場での製品)

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