カテゴリ: イスラマバード

昨夜は独立記念日前夜の華やかなイルミネーションを見ようと、首都内の繁華街を某紙の車に乗せてもらってザ~ッと一巡り。 だが、イルミネーションは大きな政府の建物と、ごくごく一部の企業(銀行)や、中級ホテル1軒のみに輝いているだけ。大統領府のイルミネーションも、遠目からしか見えなかったけど普段より地味だった…
2005年パキスタン大地震直後の断食明け。あの時は「自粛」で、確かに暗かった。 また911直後の新年も明るくはなかったが、今年はそれを下回るような暗さだ。

特にブルー・エリアの商店街が真っ暗なのは… 信じられなかった。首都最大のセレナ・ホテルも、まったく普段どおりで特別なイルミネーションはなかった。あの大ホテルが「祝い」の電球の1個も余分につけないって…どういうこと?

とにかく街全体に祝賀ムードはなく暗い。毎年の独立記念日に見られる「国旗を掲げ」箱乗りで歓声を上げ、独立を祝って走り廻る人たちも極少。 とは言え近郊からイルミネーションを見ようと集まる多くの車の中からアヤシイ人物や車を検問所でチェックを出来るわけもなく、オバハンが検問の様子を見ていれば、それら総ての車輌を通しているではないか… 昨夜は武器の持ち込み放題や!!

単に不景気なだけなのか、国民の政府に対する不信感・抗議なのか?!?! もしくはテロの標的を恐れての、目立たないようにという配慮なのか??? パキスタンの先行きを暗示しているのか…

何時ものごとくケチケチ生活を満喫中~~。 使用している老眼鏡は、もう7~8年もの前に大枚1700Rs(当地一般人の1週間分の日当にあたる約3400円)も出して作ったものだから、目に合っているのか長時間使用しても疲れない。しかし、予備で置いてあるメガネ数個は200円平均のシロモノばかりで、ことごとく気に入らない。

古くからの老眼鏡はすでに何度かフレームを壊し、そのたびに修理をして使って来た。そもそも最初にツルが壊れた時、オバハンのケチケチ教育が行き届いているスタッフを修理屋へ行かせたら、「どうせ、始末屋のオバハンが使用するメガネなので、無料が喜ばれるに違いない」と、眼鏡屋からは左右のツルが色違いで返って来た。
始末屋なオバハンはスタッフの気遣いに気を良くして大喜びで使っていたが、それもついに直せないまでに壊れた。

いよいよフレーム全体を取り替えるか新しく買えば良いのだが… ケチのゆえになかなか決心が付かない。 
おまけに眼鏡屋は首都警察署に近く、ラールマスジッドにも近く、武装勢力に狙われやすい恰好の場所にあるのだ。 テロのありそうな金曜日は危ないと思えるし、夕方の人出が多い時もヤバそうだし…、土日も避けた方が良いに違いないしと、毎日、逡巡。我が命は、惜しいものな… ケチケチ大切に使わなくっちゃ~ 
で、根性ナシのオバハンのメガネが新しくなるのは何時のことか!?!

5日間連続で未明に1時間ばかりの雨。やっとモンスーンらしい気候になった。毎未明の雨で草木も生き返った。昼間はベタベタと蒸し暑いが、早朝は湿った空気が心地よい。で、1週間、事務所に閉じこもったままで、日本語会話の練習に励むアフガン人スタッフ2人を連れ、気分転換をも兼ねて日曜野外バザールへ出かけて来た。
アフガン人スタッフ2人はどちらもモンゴリアン的風貌で、スカルドゥの東に暮らすチベット系民族とでも言い繕えば(何かの折には)検問所でも、どうってことはないのだが、そのうちの1人の歩き方、民族服の着こなしがパキスタン人的ではないのだ! 首都内ではテロリスト(アフガン人)への取締りは厳重。街のそこここには厳しい検問所がいっぱい。だからパキスタン人的に歩けず、ダリ語しか解せないアフガン人スタッフは外に出せなかった。

野外バザールからの帰り、自宅まで後1,5Kmほどで多くの車が渋滞。大通り沿いに300mくらいの長さで新しい大テントがズラリ張りめぐらされ、殺気だった群衆がいっぱい。その多くがパキスタンの民族服を着ていない… なんじゃ? なに者たちじゃ? なにごとか?
運転手の説明によると、「昨日、ラホールに近いグジュラ・なんとか町で、イスラーム教の聖典コーランを侮辱されたと怒ったイスラーム教徒たちが、キリスト教徒の住宅多数に放火、銃撃戦で数人が死亡した抗議行動だろう」と。 新聞によれば、イスラーム教徒から放火を受けた家は数十軒にものぼるという。助け合わなくては生きていけない過酷な社会環境の故に、イスラーム教徒の結束も強いが、マイノリティであるキリスト教徒の結束はさらに強い。 政府自体が、マイノリティであるキリスト教徒の保護に努めているせいがあるかも。

キリスト教徒抗議集団の居座る大通り沿いに、オバハンたちが乗るハイエースは中央分離帯を挟んで徐行する羽目になった。検問は厳しく買って来た野菜50kgの隅々まで調べられた。 職務に忠実な若い治安維持警察官たちだったが、中に乗るアフガン人スタッフにはチラと目をやったきりだ。歩いていれば「歩き方で」アフガン人と判り、難癖をつけられたことだろう。

2年近く前の非常事態宣言で、ムシャラフ前大統領に解任されたチョードリー前最高裁長官ら。その復職を「やむなし」とギラニ首相が命じてから3ヶ月がたったのかな?
その後から強権だったムシャラフ時代が、しっかり変わったことを思わせる一連の事項が続いている。何時の政権交代でもそうだが、政権が覆ると政敵には「報復」が待っている。

シャリフ元首相の脱税や汚職罪など等。またオバハンにも忘れられないのが、「1999年秋にムシャラフが乗った航空機を着陸させないよう指示した」とされるシャリフのハイジャックに対する罪状。 しかし、あの時の軍部によるクーデターは、ある意味、常に危機に備えている軍の水際立った対応が凄かったと印象的だ。
それら数々の罪に問われシャリフ元首相に出されたのは終身刑だったが、シャリフ派の強硬な支援で復権した元判事たちが活躍??、シャリフにはこのたび無罪判決が出された。
シャリフは過去の有罪判決を理由に選挙にも出られず、政界への復帰を妨げられていたが、今回ですべてが無罪となり、障害は取り除かれた形だ。…まったく…力さえあれば何でも通る社会、正義などはあってない社会。これは単にパキスタンに限らず、途上国全般に言える。

対してムシャラフ元大統領は、「大統領立候補資格」など等の罪状で、パキスタンから追われることになった。 おおっぴらに報道されてはいないが、ムシャラフは3週間も前にイギリスへ亡命したという。 ムシャラフは3年以上も前からトルコやイギリスなどに莫大な財産を移動、亡命に備えていたから、今頃は優雅に暮らしているのだろう。

アフガン人=タリバーン(テロリスト)という誤認識は、アメリカや日本人だけではなくパキスタン人(官憲)の中にもある。アフガンに居る事務所のスタッフを青森の果樹園に(研修のため)送り出すにつき、日本語の研修をと思いながら今までズルズルと延期になってい最大の理由が、招聘予定の4月初めよりパキスタンが対テロにつき、厳戒体勢になったからだ。

アフガン人たちが国境を越えた途端、首都イスラマバードへたどり着くまでの間に何十という検問所があり、官憲にアフガン人だというだけで逮捕される可能性が物凄く大きかったのだ。 そして誤認逮捕であっても、一旦捕まってしまえば釈放までの道のり手間暇は大きい。 オバハン事務所の周囲にも情報局員たちが常にウロチョロしている。概ね外国人たちは情報局員の調査対象者だ。オバハンも例外ではない。

誤認逮捕後、釈放されてもアフガン人はマークをされ続けるし、情報員たちがオバハンの事務所をさらに厳しくマークするようになればウザイという一言では済まないと、マネージャーたちがワイワイやかましい。マネージャーたちも、なんとか火の粉を避けたいと必死の様相だ。
さもありなん、反対にオバハンがアフガンへ行くと、30数年もパキスタンに暮らしているオバハンはパキスタンから送り込まれたスパイと見られるからなぁ…。 敵対している国というのは、常に疑心暗鬼であり、そこまで緊迫しているようだ。

しかし果樹園への研修時期やアフガンでの活動時期は限られているので、ついに決心をしてアフガンからスタッフを呼ぶことにした。オバハン事務所のマネージャーたちは、アフガン人が国境から乗り合い車輌を利用して首都へ来ることにも断固反対!!
「どうぞ経費には眼を瞑り、ペシャワールからは某所のレンタカーを利用して下さい」と騒ぐ。
万が一、彼らが誤認逮捕をされた場合に、アフガン人とオバハン事務所の関係が当局に文書で残ることは、後々問題になるというのだ。某所のレンタカーが火の粉を被るのはしょうがない、オバハン事務所が文書に残りさえしなければ良いと言うのだ! パキスタンとアフガンの関係が良く見える。

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