2024年07月

27日の昼の起こったK2西壁での山岳事故、救助が打ち切りになった。常に未踏の山・ルートを求めてこの20年以上、パキスタンへ通ってくれていたのに・・イスラマバードの出発に際しては、いつも力いっぱい強く握手をして「行ってらっしゃい」と送り出す。帰って来たら「冷やし中華を用意しておくからね!」が毎夏の合言葉のようになっていた。にもかかわらず、今夏は力いっぱいの握手はしたものの「冷やし中華」の約束はしなかった・・
世界最高峰エベレストでの事故率は6%。K2での事故率は25%と言われている、それもノーマル・ルートでの事故率だ。エベレストに比べて雪崩が頻繁だから、登山技術と共に「運」も左右する‥と、言われているK2登山。それでも・・登る、登山家の業かもしれない。たくさんの登山家・登山者を見てきた、続けていれば必ず「番が廻って来る」のが登山だ。
2人は数年前にK2西壁の偵察に入り、壁に対すること約1か月。試登と共に写真もたくさん撮り、ルートは研究しつくしていただろうが、遥か頭上にあるルートが事細かく全部見えるわけもないし、ほんの小さな落石でさえも命取りになる。事故とは常に背中合わせの登攀だったことだろう・・よほどの登攀技術が無い限り、現地のハイポーター(ネパール人のシェルパ)程度では登れない超難関ルートだ、ヘリコプターで近寄れる場所でもない、ただただ痛ましい。

息子家族5人が帰って来て一気にたくさんの食材が必要になった。朝の比較的涼しい間に買い物に・・と、すぐ近場のスーパーマーケットへ行こう車に乗った時、ポチポチ降り出した雨。「おお~雨が来る~~」と喜びながらマーケットへ着いたときには、僅か5分で土砂降り。マーケットの階段(ツルツルの大理石)を滑らないようにと濡れながら慎重に登り、買い物を済ませた30分後には文字通りバケツをひっくり返したような豪雨。サテ、大量の荷物を車にどう運び込むか?? 運転手と、マーケットの荷物運びのオジサンは軒下で互いに顔を見合わせ、運び込みを譲り合い。オバハンが豪雨に負けまいと叫ぶ!アタ(小麦の粗挽き粉15㎏)を濡らすまいと。と、荷物運びのオジサンは機転を利かせ、アタが濡れないようにと店専用のデカイ買い物袋(有料)を無造作に持って来た。朝の早い時間でもあり、有料の買い物袋カウンターには誰もいないからといっても、それでは万引きですがな。まぁ、毎回、チップを上げている効果が生きている!!とも言えるし・・などと思いながら、荷物運びのオジサンには有料買い物袋に倍するチップを置いて帰って来た。
パキスタンの人々は土砂降りの中でも悠々と歩いている、オバハンは日本人らしく?雨に濡れまいと軒下から車までの10m弱に、転ばないようにとセカセカ小走りだ。たかが雨、放射能雨でもないし、何時も着ているのは綿100%の洗い晒しだ。濡れたら乾かせば良いだけなのに、濡れまいとするせせこましい日本人根性・・いつの日か、雨の中をパキスタンの人と同じようにずぶ濡れになりながら、悠々と歩けるようになってみたいものだと思いながら帰宅。

夜、悪夢つづきで熟睡出来ない。暑さ疲れもあってチョイとの昼寝も悪夢に魘された昨日・・と、この2日間は気分的にキツイ。これ以上、心臓バフバフが続けば不安が増す・・と想いながら横になったら、よほど気疲れしていたものか、きょうは前後不覚の熟睡3時間。いつの事故も家族・関係者の心配はオバハンどころではなかろう・・と、後ろめたさを想いながら「心も雨模様・・」で目覚めたが。


昼前、久しぶりに心臓がバフバフした、血圧を計ってみたら心もち高い。昨夕、知り合いの記者からK2での遭難事故を聞き、熟睡できなかったせいだと想われる。過去に何回も何回も経験した山岳事故の夢を見続け、結局未明の4時前から起き出してしまった。
パキスタンへ来て1等最初に手配をした登山隊の事故。1981年の7月7日、きょうのようにモンスーンで重く暑苦しく粘るような夜に聞いたガッシャーブルム4での、氷塔崩壊によって4人が墜落した事故(4人を車で2㎞くらい追いかけ手を振り続けて送り出し、涙が止まらなかった)時からに始まり、その後も毎年続く事故にどれだけ気を揉んで来たか・・そして、どの事故も鮮明に覚えているところが悪夢になる。現地スカルドゥは明日から荒天の模様だ、ヘリコプターは飛ぶまいと想うだけで気が重い。無事にいて欲しいと、それだけを念じているのだが。
事故った2人は現在の日本のみならず世界的にも最強の登山家(アスリート)と呼ばれている。日本から登山のために長時間のフライト、そして夜遅く疲れてパキスタン(イスラマバード)へと到着した登山者の全員が、翌朝は8時9時に起きて来るのに、最強の2人はどんなに遅く到着しても、翌朝は6時からトレーニング。マルガラ丘陵の頂上1200mを踏んで帰って来てから朝食を摂る。我が家からマルガラ丘陵の麓までが3㎞、麓から頂上までの標高差は700m、(若いころのオバハンでも)麓から頂上へは1時間半というところを、2人は僅か2時間ばかりで我が家から頂上までを往復する。2人とも律儀で、山から帰って来ると(トレーニングの続きのように)毎夏、我が家のスタッフたちでは不可能な高所での窓ふきや、高木の伐採をしてくれる・・ 登山に事故はつきものだ、続けていれば必ずのように「番が廻って来る」とは想いつつも、とにかく無事でいて欲しいと念じている。
それにしても今夏は、これで日本チーム3件目の事故だ・・天気がものすごく悪いというわけでもないのに・・どうしたことか・・悪夢の2024年夏だ。

6月初め、夏休みに入って直ぐに海外へと行っていた子供たちが、明日50日ぶりに帰って来る。というので蒸し暑い中、大汗をかきながら大掃除を始めた。スタッフたちも思い思いにアチコチを掃除し、磨き上げている。一気に家族が増えるので大量の生鮮食料品を含め、買い物にも行きたいのだが、町がどんなふうになっているのかTVを見ないから状況がつかめない。
パキスタンにおける刑法144は「特定の地域内で4人以上の集会を禁止する」というもので、基本的には治安維持ということになるのだろうか。だが、この半端ない暑さの中で、政府の規制にもかかわらず各野党は政治犯の釈放や物価高騰などへの抗議の声を上げ、大規模な抗議行動をしている。某政党々首の言う「座り込みは本意ではないが、我々は個人的な利益のために行動しているのではない。2億5000万パキスタン人のために諸物価高騰などと闘っている」など等の、主張には応援したい。だが、またまたたくさんの逮捕者が出るに違いない。
そもそも正義党を政党として認めないとか、政治活動・集会を認めないという判決などがオカシイ。何時の場合も現行政府の言いなりになって判決を出す裁判所の存在もオカシイ。パキスタンには民主主義が無いと言われる所以だし、この20数年で年々悪くなって行くパキスタンの現状に憂いが深くなるばかりだ。オバハンは自身をパキスタン人の生まれ変わりだと想うほど、パキスタンを愛していた。が、ここに来て、パキスタンには本当に明るい未来がないと想うようになった・・・



「令和の所得倍増」を掲げて、そろそろ丸3年が近い岸田政権。先月末、岸田首相は「政府で取り組んで来た賃上げや、定額減税の効果がだんだん出て来ている」と鼻高々だったらしいが・・「物価高を上回る賃上げ」を目指してくださるのは、賃上げの恩恵などにまったくかかわりのないオバハンでも、一般庶民としては何となく嬉しい気分でもあるのだが、2024年度の最低賃金の引上げ額の目安が「50円」って・・8時間も働いて400円。1か月に20日ほど働いて8000円じゃん。日本国内における物価は高止まりのまま、「勤労統計調査」とやらでは物価変動を反映させた実質賃金は26か月連続で減少とか。そんな現状下、岸田メガネはあちこち海外への視察ばかりで、よその国々へ「良い顔」をして歩き、日本国総理大臣のポジションをお楽しみ、かつ「日本経済は好循環」と自画自賛らしいが、一般国民のオバハンたちからすれば苦々しいばかりだ。
最近では岸田首相のことを「恩着せメガネ」と呼ぶらしい。

26~28日まで首都圏イスラマバードとパンジャーブ全域では集会、行進、抗議活動、あらゆる種類の集会や活動を禁止する第144条が施行になった。政党それぞれで抗議の内容は異なるが、電気料金大幅値上げ反対する政党、正義党の指導者・支持者の釈放を求めるものなど等。最近の政府の強権的な施策は、ただただ正義党への弾圧だ。言葉を返せば、2月の総選挙でナワーズ派が勝ったとは言え、国民の多くはその勝利が不正であることを知っている。故にこそ、それだけ正義党の力を恐れているということだろう。

↑このページのトップヘ