2022年05月

昨夜は何時ものように10時就寝、だが今朝は普段よりやや早くアザーン(未明の礼拝への呼びかけ声)で目が覚めた。朝4時、無理をして2度寝をすることもないと思い、さっさと起き出しキッチンで朝の用意を済ませた後、メールの返事も手早く書き終え爽やかな朝のスタート。きょうは朝一で野外大バザールへ行き乾燥野菜の材料を仕入れなくては・・と寝る前に算段をいろいろ考えていたせいか、気合が入って早い目覚めになったのかも。この季節、朝8時で35℃にもなるカンカン照りの野外大バザール、行くには気合がチト必要だ。タマネギ、ズッキーニ、ナス、トマト等々総重量40kgほどを1時間で買い付け、汗ばみながら帰宅して一気に乾燥野菜作りに突入。40kgの生野菜が乾燥野菜として完成すると、ほぼ3kgほどになる。登山の時に40kgの荷物をポーターに運ばせると、ベース・キャンプの位置にもよるが片道10日も歩けば荷運び代金が5万ルピー(大人2人の約1ヵ月分の給与に等しい)にもなるし、インスタント食品では摂れない食物繊維など諸々の利点を考えれば、乾燥野菜は登山者にとってのお助け食材とも言える。もっとも、これはオバハンがそう想っているだけかも・・。我が家には乾燥野菜作りにはもってこいの広い屋上へ7往復したら脚と腰に負担が来たな。
100日間の乱読で過ごした怠惰な暮らし・・そして無条件に甘えてくれていたハナビちゃんを思い出すと、まだまだ涙は滲むが身体のほうはなんとか普段の暮らしに戻りつつあるようだ。ぶっ通しで動いた8時間、満足満足と思いつつも、さすがに辛くなってベッドへ倒れこんだが復活の兆しに自分でも安堵。


武装闘争路線を「間違っていた」と総括。
活動自身にいかなる高尚な目的があっても、武装路線は間違っている。それはパキスタンやアフガンで40数年も暮らしていて心から思うことだ。オバハンの元亭主側の身内、そして近い周囲で殺された人は10人以上だ。末はGB州の主席大臣と目されていたのに敵対勢力の犠牲になった従兄弟もいる。オバハンに知らせがないだけで実際にはもっと多くの血族が殺されているのかもしれない。武装闘争で人民は解放されない、人民(国民)の方にも学習が必要だ。
日本では話し合えば理解しあえる、話せば分かると思う論調もあるにはあるが、それは幻想だ。いつも書くが正義は民族や宗教など、拠って立つところ人それぞれで異なって来る。だからと言って武装闘争が許されるものではない。20年ぶりに出所の重信房子、世の移り変わりに驚いていることだろうが「警察情報だけを鵜呑みにしないで、テロリストと言われる人がいれば、なぜその人がテロリストと言われるのか、言っている人の意図を読み取って欲しい」とコメントしていた。このコメントの意味も拠って立つところで正義が異なると言っているに等しい。「暴力ではなく権利の中で、やれることをやると思う」とコメントしているから、警察当局は重信房子の今後の動向が気にかかることだろうな・・

1972年浅間山荘事件から50年、オバハンたちの年代にとっては懐かしい?名前と言える。貧しい人や虐げられた人々を人民の敵ブルジョワ(日本ではブルジョワを有産階級・資本家を指す)から解放・・ということを、当時の「赤軍」の面々は真剣に考えたのであろう。 若いということは一つのことにのめり込める素晴らしい年代でもある。オバハンも「より困難・より高く、ヒマラヤを目指す登山」に嵌りこまなかったら、戦争反対・天皇制反対を唱え戦中は獄に繋がれ亡くなるまで公安に付きまとわれていた父親の影響もあって、人民解放などという活動に興味を持ったかもしれない。東京で学生になった当時はまだ学生運動も盛んで民青からの誘いも普通にあったが、入学して間もなく社会人山岳会に入ったのが運命の転換だったな。
重信房子が懲役20年の刑を満了で昨日、出所と。仮釈放もなく刑期満了と言うことは「改悛の情」がイマイチだったとも言える。仮釈放には諸々の条件が付きまとうが、それでも60%近い人が約7割の刑を終えたところで仮釈放されている。重信房子にはそれがなかった。出所後の記者会見で「多くの人に迷惑をかけたとお詫び」していたが、中等やヨーロッパで武装闘争をして多くの被害者を出し、殺人未遂などの罪に問われながら、裁判では一貫して無罪を主張していたという。
日本赤軍のメンバー7人は未だに逃亡中で、国際手配されているが、そのうちの一人坂東國男は滋賀県の出身。10年ほど前だったか坂東の実家の前を通ったら、古い日本家屋は取り壊されることもなく軒が僅か傾きかけたまま空き家になっていた・・どこかへ隠れた家族は辛かったことだろう・・



50cmばかり開けてあるカーテンの隙間から窓の外が明るんで来るのが見えると、寝ているのがもったいない気がして起き出す。平均して夜10時前後には寝るのだが、12時過ぎと遅くに寝ても目覚めは良い。朝5時前、自室から出てアチコチのカーテンを引き窓を開け始める。このところ朝の気温は25℃前後、屋内に留まっていた生暖かい空気の中に外からの冷気が入って来る一瞬に幸せを感じる。だが今朝は冷気の中に異臭が混ざっていた。強い風の後では落ちる木の葉を掃き寄せ、禁止にも関わらずアチコチで燃やす人が絶えず白煙が立ち昇るのだが、今朝の臭いは木の葉を燃やす臭いではない・・と想いつつ、そのまま忘れて、朝一で何回目かの鍼治療に出かけた。
大統領官邸前の大通りでは、前首相のイムラーン・カーンが呼びかけた大集会の痕が歴然。どこの党の大集会でも国会議員などの有力者には動員数の割り当てがあり、アゴ足付きで人を集めるのだという。だから娯楽のないパキスタンでは、遠足気分でデモなどの集会に参加する人が大半、それが普通だという。キチンとした思想があるわけでもないから統制は難しく、普段の鬱憤払しも兼ねて暴れる・放火するなどは不思議でもないらしい。昨夜の集会でもそうした行為がデモ隊にあり、治安部隊との衝突で鎮圧のために催涙弾が多量に使われたと。そして眼などに沁みた催涙ガスを洗い流すための水が不足。
我が家から500mくらい離れた近隣の家々では騒ぎになっていたとか。

今朝未明、前首相は国会の早期解散と総選挙日程の発表を要求し、6日間のうちに「答えをと要求」。デモ隊の一時解散を宣言したとニュースにはある。

1昨夜から雨の予測、昨日は未明から夕方まで雨印がずっと出ているにもかかわらずパラッとも雨は来ず、雲の多い一日で終わった。おかげで涼しい1日ではあったが「雨を待っていた」だけに物足りない。きょうも気温は低いまま、有り難い。
前首相のイムラーン・カーンが支持者を動員して反政府運動、首都に行進中。きょうは不要不急の外出を控えるようにとの通達、子供たちの学校への道路は政府によってコンテナが積み上げられ封鎖され授業はオンラインでとなった。携帯電話の使用やネットも封鎖し、首都警察は行進参加者のうち暴徒化する人間を取り締まるためにと5万人の部隊を要求。約100台の囚人用車輌と1万5000発の催涙弾を要求したとニュースにはある。これは行進参加者をビビらせるための報道かね???
新政権が発足して1ヶ月半、前首相のイムラーン・カーンの行進目的は「国会が解散し、国が自由で公正な選挙を行う日が発表されるまで」と意気軒昂。政府側は3年余り与党だったイムラーン・カーンの正義党への報復??とばかり、イムラーン・カーンの拘束を含め、大量の逮捕者を予定しているようではてさて、どうなるのかな。



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