2021年07月

1週間も続く曇天、思い出したように降る小雨、気温は30度半ば、有難いと言えば有難いのだが蒸し蒸しと暑い。日本の真夏を40年以上も体験していないが、こんな感じだったのかも。この蒸し暑さの中でオリンピックが始まって1週間。オリンピックの開催には真っ向から大反対だが、この日のために精進をしてきた選手たち全員の活躍には、メダルが取れても取れなくとも拍手を送る。しかし・・多くの報道レベルの低さと言うか、国民の目を政府の失態から逸らせようと言うのか・・「どこそこの誰とかが妖精だとか、天女だとか、美人だとか」そんなことは視聴者などの見る眼に任せておけば良いものをワザワザと言うべきか。ああぁ~情けない報道視点だ! その上、コロナ感染者が全国で1万1000人超えだとも。感染者増がオリンピックの開催によるものではないにしても、医療機関の度々にわたる警告を無視、オリンピックへ突き進んだ政府には責任がある。

いよいよ中国政府がタリバーンと手を握った。イギリス、ロシア、アメリカに続いて中国もアフガンで「帝国の墓場入り」仲間となるのかな?!オバハンが生きている間に「その結末」を見られそうにはないのが残念だわ。中国は911の直後からもアフガンへは乗り出し、積極的に資源探査など等に関わっているが、どういうわけかアフガンでも中国人は大そう嫌われている。上意下達が不可のアフガン、タリバーン首脳の思惑が末端勢力に伝わるかしらね?!?
アフガンと中国はパミール高原の西で76kmにわたって国境を接している。古代から東西文化交流・キャラバンを組んでの交易に使われて来たし、冒険者や探検者と言われる人々しか足跡を残せない地域だ。峠の標高は5000m近く、とは言え中パ国境の峠道路は4777mだから、造る気になれば難しくはない。ここに道路でも出来れば中国が一気加勢に「手を突っ込む」ことは可能になる。だが・・中国が宗教、特にイスラーム教を理解している(しよう)とは思えないから・・長い目で見れば中国は必ず痛い目に遭うことだろうな。

大きな窓の外に広がる緑を目にしながら大満悦。濃い葉陰に陽が当たり風に揺られて煌く、時折りの雨粒が葉を小揺らしする。前々からの椅子の位置に戻し、思っていた以上に快適なのを確認、幸せ。幸せってこんなに身近にあるんだと一人で笑っている。
気分も良いし子供たちも日本から帰って来ることなので・・と、2週間ぶりに買い物に出た。久しぶりに通る幹線道路に「イスラマバードは物乞いを無しにする」との大きな看板。いつもは物乞いなどで走行を邪魔され渋滞するロータリーがスイスイと走れる。
インドやパキスタンでの(プロの)物乞いはマフィアによって管理されているのだと。オバハンの家の直ぐ近くにあるモスク前にも何時も決まった年配の女性が配送されて来る。昔から物乞いには共同体があって、管理監督をしているのは大金持ちだと言われていたから、それがマフィアと呼ばれるものだとは知らなかった。誘拐された子供は腕や足を切り落とされ、プロの物乞いとして育てられるとも。また年若な女性には貸し出すための乳児もあるだと聞いてはいた。
首都警察は月に2度、物乞いの取締りをするだけではなく、リハビリのために福祉センターへ送り、子供には教育を女性には職業訓練を施し、再び物乞いに戻った人には懲役刑もあるという。大学を出ても職につけない人が多いパキスタン、食べさせてくれる家族のない未亡人や孤児たちには厳しい現実(働き場所など)なかなか無いだろう。多くの社会問題を包括している「物乞い」たちの暮らしに光があれば良いと思う・・などと、無責任な感想を持ってしまったわ。

年中、やや足高のコタツ机の上にパソコンを乗せているのだが、その周辺を整理整頓した!!と言っても高さ25cmほどの椅子の位置を元の場所へ移し、緑の厚い林のような外を眺められるようにしただけなのだ!考えてみれば何で椅子の位置を換えたのか??ようやく1ヶ月ぶりにシックリする場所へ戻り腰を落ち着け気分爽快。先ほどまでの椅子の位置は実に落ち着かなかった、座り心地も悪かった。パソコンを触ろうという気分にもなれなかった。真面目に仕事?をするためのデスクは一応あるが、正面が壁では鬱陶しいからとここ4年、窓辺へ向けてコタツ机を愛用して来たのだ。
さてさてアフガン情報。いよいよ無政府状態だわ。パキスタンとアフガンの国境検問所で、タリバーンが政府に変わって関税(交易品やトラックの通行税など等)を徴収し始めたとのニュース。タリバーンはタジキスタンやイランとの国境検問所など、そして物流拠点を次々に占拠しているというから、政府には税収が入らなくなったと言うことだ。海のないアフガンなので、政府は国境検問所で税収の大半を賄っているのに・・と案じていたら、交易品を積んだトラックが政府管理の首都などへ入れば、そこでも税金を徴収されるのだと言うから、なんたること! 思い返せばアフガンで過ごした約600日間、パキスタンから首都カブール、首都から地方へ走る度に、わけのわからん通行税??を何十回とられたことか・・中には道路に大きな穴を造り、あるいは大きな石をならべ道路修復のふりをした人だか民兵からも通行税??の徴収があったものだ。
タリバーン首脳が「どんな約束」をしようとも、それが末端へ届くことは絶対にない。アフガンの人々は「独立独歩」他人の言うことなどをハイハイとは聞かず、自主的に行動するもんな。だから和平会議は無駄だし、国は混沌としたままで法治国家などは夢のまた夢だ。
生きている土台(正義)がまったく異なる人々だけに、理解しがたい面は多々あるが、それだけにフト価値観を同じくする人に出会えば半端でない感動もあるのだが。

2週間ぶりにパソコンを立ち上げた。ボケ防止の一環、「気まぐれブログ」へも行かなくっちゃ・・と考えながらも、思いっきりの蒸し暑さの中で部屋に篭もりきりダラダラ生活。読書にドップリ嵌っていたと言えば少しは聞こえも良いが、主にはゴルゴ13の読み返しだもんなぁ~。読み返しでも、それなりに学ぶ??ことや新たな視点も無きにしも非ずとは言え、いったんダラダラが身についてしまうと、なかなか抜けられないものと身に染みた。きょう、日本から「催促」のメールを頂き、ついにパソコンを立ち上げた始末。
この2週間、アフガン情勢は目に見えて悪くなり、パキスタン・アフガン国境に造ったフェンスに遮られ、多くの人々はアフガン側に留まらざるを得ない状況だ。タジキスターンは10万人のアフガン難民を引き受けると表明しているが、パキスタンには既に150万人もが留まったままであり、これ以上の受け入れには躊躇の様子だ。難民受け入れにより、治安の悪化が目に見えていることから、国境沿いのフェンスには陸軍を繰り出したとのニュース。1970年代ソ連の侵攻以来、同じイスラーム教徒同士ということで、一時は500万人ものアフガン難民を受け入れていたパキスタンだが、政府も学んだのだろうな・・
オバハンもいっぱい学んだ、何人ものアフガン人から合計で家が1軒買えるくらいのお金を盗まれた、命さえあれば、「また稼げる」と思って暮らして来たが、思い返せば悔しい話だ。もちろんアフガン人に助けられたこともたくさんあるから、差し引きゼロにしてあげようかな・・

アメリカを中心とした多国籍軍は着々とアフガンから撤退。バイデン大統領はアフガンのガニ大統領と「永続的なパートナーシップ」を約束したと言うが、撤退後の支援は明確になっていない。一昨日だったかの当地報道によれば、アフガン国外にドローン(無人機)の基地を設け、アフガン政府軍の支援をする案があると。だが、パキスタン政府は「パキスタン国内に基地を置けば、テロリストの標的にされる」と、至極もっともな理由で反対した。それでなくとも近年はアメリカに距離を置いているパキスタンだ、軽々しく協力するとは思えない。それどころかアフガン難民の受け入れに対しても、今のところ政府はあまり良い顔をしていないようだ。もっとも・・国際機関からの多大な難民援助金が見込めるとあらば、難民の受け入れをするのであろうが。
武装勢力はアフガン全土で攻勢の様相を呈し、既に国土の87%を掌握と伝えている報道もある。攻撃前には住民に対し、「2時間で退去せよ」などとマイクで呼びかけ、後、焼き討ちだとも。中でもアフガン政府寄りの家族に対しては扱いが厳しいようだ。単に厳しいだけではなく・・今後は報復・復讐という形の残虐な行為に発展する恐れは大だ。そうした家族、そしてタリバーンによる厳しいイスラーム教義に基づく統治を望まない人々はアフガンを捨てて、パキスタンやイランへ逃れることだろう。過去に於いては大量の難民受け入れにより、パキスタンでは諸々の状況で生活環境が悪化した。「難民受け入れ」には人道的なこと・・と、簡単には言えない諸々の要素を含んでいる。


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