2021年05月

昨日のブログで「生き物なら(蛇以外は)何でも大好きなオバハン」と書いたが、思い返せば、このすべての生きているものに対する愛おしさは、物心がついたころより繰り返し教えられて来た父親によるものだ。オバハンの父親は20歳になる頃から天皇制の反対などをも唱えた、いっぱしの反戦活動家だった。甲種合格の立派な身体にもかかわらず戦地へは送られずズ~ッと獄に繋がれていたし、戦後30年を経ても、父が亡くなるまでは公安数人が毎週のように家へ出入りする環境の中でオバハンは育った。
その父親から子守唄のように聞かされたのが、室生犀星の詩「生きものは悲しかるらん」だ。序詩は「生きものの命をとらば、生きものは悲しかるらん。生きものを悲しがらすな、生きものの命をとるな」だ。そして、この詩は今もふとした時にオバハンの口にのぼる。もの心が付いた時から我が家には何時も犬猫鶏など生きものがいた、時には犬が数匹の時も。魚屋・鶏肉やへ行って犬たち用の餌を貰って来るのはオバハンの役目だった・・
一億総玉砕が叫ばれ、人命が軽んじられていた戦局厳しい昭和18年頃に書かれた、室生犀星の「生きものは悲しかるらん」「いのち大切」のメッセージは多くの人の共感を呼んだことだろうし、今も教育の原点であろうと思う。
日本の政治家や多くの役人に欠けているいるもの・・いのち大切にと思う心ではないかしらン。



薄雲が広がり、夕方6時になって外気温がようやく37℃に下がった。乾燥しているせいで暑さはモンスーン時よりは凌ぎやすい・・とは言え、ここ3日は連日45℃。鶏などの餌やりに1歩外へ出ると熱気を吸い込み、中々厳しいものがある。夕方6時を過ぎても屋上の床は思いっきり熱く、輻射熱が酷くて水遣りどころではない。3年前までは夕方の水遣り、「根性」で出来たが、今夏は「お許し」を頂く破目になった。でも、なんとか早朝の水遣りだけは続けられている。
屋上から見えるマルガラ丘陵の中腹では、先日から西から東へとたなびく「煙」が絶えない。時には尾根沿いを頂上へ向かって上へ上へと昇る赤々とした火も見える。毎年、乾季の今頃になると山火事が起こり、夜になると火の燃え盛るのが見える。首都開発公社では乾季の始まった4月から見回りを強化、24時間体制で消防車なども準備と言うが・・消防車が走れる範囲はごくごく限られている。朝夕の見回りにはヘリコプターも動員しているが、山火事を出来るだけ早く見つけ消化活動に繋げる・・のには、効果はいまいちのようだ。
マルガラ丘陵は国立公園に指定されている、多くの野生動物が被害に遭っていると想うだけで辛いものがある。マルガラ丘陵には豹、大山猫、ジャッカル、いのしし、サルなど等を初めとする物凄く多くの動物たちが棲んでいる。生き物なら何でも大好きなオバハン、それらが煙に巻かれ死んだり火傷をしていないと良いが・・などを、安全な場所から燃える火の手を見ながら案じている。

国際たまごシンポジウムとか、2-3日前にあった卵に関する国際会議「卵を巡り国際会議が紛糾。焦点は動物福祉」とのニュースなどを見て、日々、お手軽に口にする卵に関してでも色々あるものだと、改めて感心している。日本人が食べる卵は年平均340個でメキシコの370個に次いで世界2番目だとか。
我が家の1歳半が鶏に興味を持ち、毎日のように近所の原っぱへ放し飼いになっている鶏を見に行くというので、バザールから若鶏を買って来たのが2月初め頃だったか。4月10日から卵を産み始め、以来ほぼ毎日のように律儀に卵を産み続けている。きょうの日中気温は45℃の表示、そんな暑い中でも休まず産み続ける鶏さんが「気の毒」に思えてならない。初めての卵を見たときは「愛おしくて、愛おしくて」撫で回し、しばらくは食べられず卵が生きている・・という感慨にふけったものだ。今も家の卵に関しては、その思いがとても強くて気軽には食べられない。
たまごシンポジウム、卵を巡る国際会議では「動物福祉」に関して紛糾というが、言われてみれば鶏舎で飼われている鶏は劣悪な環境の中にいる。我が家の鶏は庭を自由に走り回り、植木鉢から若芽を摘んで食べている上、オバハンが朝昼夕と新鮮な野菜クズ、米やチャパティ・パン屑などをセッセとやるもので、来たときのガリガリ痩せからは見違えるくらい丸々と太っている。呼べば丸々した身体を鞠のように弾ませて走って来るから可愛さ、ひとしお。おまけにウチの鶏さんの卵ときたら90cmの高さから真下に落としても殻は2つにきれいに割れるが黄身が壊れない。バザールから買って来た卵は60cmからの落下で殻も黄身も粉々になる。

つい先ほどの「文春オンライン」ニュース。国際オリンピック委員会の最古参委員が述べている。「昨年3月、延期は1度と日本が述べたのだから、延期の選択肢はテーブルの上に存在しない」って。
世界の99.5%はテレビやネット等で楽しむのだから、会場に観客がいるかどうかは重要ではない。アスリートたちのパフォーマンスに焦点を当てており、雰囲気を味わうために生の観客がいるのは良いことだが、必須ではない」って。あっららぁ~~~って思いながら読んだな。
多くの国、そしてアスリートが今夏のオリンピックに不参加のことだろう、ということは、日本の獲得できるメダル数が増えるってか・・大いに喜ばしい大会になるって、頭を切り替え考えるべきなのかね。
菅首相の存在価値、ゼロ~~

寝るときは必ずカーテンを5分の4ばかり閉めるので、5時半の室内は薄暗い。それにしては室温がいつもより高いな・・と思いつつ爽やかな早朝の風を想って窓を開けると熱気が吹き込んだ! なんじゃ!?この熱気は?? 薄暗い中でタブレットを操作、気温のチェックをすると外気温の表示は38℃。なんじゃ?なんじゃ??
我ながら愕然、久々に物凄く落ち込んだな。早い話がいつもは1時間前後の昼寝に2時間余もぐっすり寝てしまい、朝夕を勘違いした「初の体験」と認識するまでの時間がかかった自分に。ああぁぁ~~いよいよボケが進んでいる~~ 一気に何もかものやる気が失せた、が、こんなことで泣いてはいけない。めげてはいけない。この先、ますますボケは進行するのだから・・
最近のオバハンは、あれこれ他人のことをあげつらうこともなくなり、息子と喧嘩をすることも減り、性格が温和というか丸くなったような気がしていたが、単にボケが進行していたのか・・思い返せば、母が同居していた姪と喧嘩をしなくなった途端にボケが始まったと言っていたものな。喧嘩相手があることは幸せなことであり、あげつらう先の日本政府や、その政策・施策などなどがあるのは幸せなことなのだ。論わなくなるのは超老化の始まりだと認識。

とりあえず過日のIOCバッハ会長の「誰もが犠牲を払わなくてはならない」なるメッセージに対し、世界中で議論沸騰・日本国内でも反発が大きくなっていることには少しだけホッとした。「日本政府、菅首相は世界中でアホとしか見られてないのでしょうね・・」というメールを知り合いから貰って、日本国民の一人として情けなさは増したが。

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