2020年10月

「試用期間が終了しました、wardのほとんどの機能が無効になっています。再度ライセンスを認証するには、以下のオプションを選択して下さい。」という表示から、一歩も進めなくなっていたオバハン。まったくパソコンというシロモノは勝手にあれやこれやと変更?があって扱いにくい・・など、ブツクサ嘆いていたら、息子に「あのねぇ、マイクロソフト社などが何で儲かっているの? そうした機能を売っているからヨ」と。ハァ~? ますます分らんがね・・とにかく、「訳の分からん事柄」でパソコンを触る気にもなれん。
続いて出て来た表示は「プライバシーが侵されています」って。もう当分、パソコンを開く気にもなれんわ。かと言って、いま使っているタブレットも古くなって来たのか、日々、不具合が生じ、使いにくい事この上ないし。次回、日本へ行ったらパソコンもタブレットも「買って貰おう~~」と、能天気に考えてはいるが、いつになったら日本へ行ける事か・・そのうちに、「ブログの更新も出来ません」などの表示が出るかも。

世界のコロナ感染者は3500万人になり、アメリカの感染者740万人にインドが650万人で追い付こうとしている。この分では今月半ばにもインドはアメリカを抜き、世界一の患者数になるのだろう。
パキスタンの感染者は4日現在31万5000人ということになっており、日々の感染者はさほど増えていないように見える。だが、実のところ感染者は多いと(政府筋からも)漏れ聞く。PCRの正確度は元から70%程度だと言われていたし、パキスタンで出発時にコロナ陰性であっても、日本の空港で再検査をすれば「陽性」という例は頻繁で、すぐさま隔離だと。各国の空港にはパキスタンから来た人のための専用のカウンター・検査があるという。早い話がパキスタンからの到着者には「それほど陽性者が多い」ということだ。

パキスタンも日々、気温が下がって来た。夜明け前の気温が20℃を切る日も出て来た。秋晴れで素晴らしい日々も来月になれば一気に気温が下がる。きょう4日、首相イムラーン・カーンは、「冬がやって来る。コロナの第二波を避けるために、公共の場ではフェイスマスクを着用するように」と、あらためて促している。が、町ではマスク姿の人は僅少だ。学校は始まった、首都圏だけではなく全国各地で学校閉鎖のニュースが続き出した。
だが過日のニュース、カラチでは「集団免疫」が獲得されていると?? パキスタンに報道の自由はない、報道はがんじがらめだ。それから行けば「ニュースの信ぴょう性」など眉唾だ。日本も年々似たようなことになりつつあるのを、国民のどれくらいが気づいているのかしらン。少しでも政府批判をすれば社会的抹殺、しっぺ返しが来る難しい時代を迎えているのを・・  

 

中秋の名月、月を眺めながら2晩も続けて、6人用居住性抜群のテントで寝てしまった。満月の左横に仄かに赤い火星が瞬く。螢惑の星とも呼ばれる火星、中国の故事ではこの火星の輝き方で兵乱や疫病などの凶兆を示すとされていなかったか? 2日後の10月5日は火星が2年ぶりだったかで地球に最も近づく。不吉な蛍惑星のせいで今年はコロナ、飛蝗、洪水なのかとフト想ったり。東から上る月から目を南西頭上へ転じると、木星と土星が並んで見える。息子の次女は土星の輪っかが見えるなどという・・そんなもん肉眼で見えるか!と思うが、夢を破ってはいけない。今月半ばには天体望遠鏡を出してやらなくっちゃ。    
屋上のレンガは昼間の熱気であぶられ、テントの床に敷き詰めた薄手のフォームを通しても、床暖房を入れたように一晩中ホカホカと温かく寝心地は最高。蚊は息子の次女の方へばかり飛んでいくし、蚊取り線香要らず。     
今夜、息子が帰パする。コロナのせいでパキスタンから日本への直行便が無くなり、今までのように簡単に日本へは行けなくなった。ドバイやカタール、あるいはイスタンブールなどを経由して、日本へ行くとなると40時間はかかる。息子も日本行をためらった挙句、ようよう腰をあげたが、オバハンのように仕事もない者は、わざわざ40時間も費やして日本へ行くこともない。
(パキスタンに比べると)日本でのスピード感、決まり事などが苦手で、仕事でもない限り日本へ行きたいとの思いは40年近く皆無だった。が、70歳を過ぎた頃から(日本での仕事や約束事がなくなったせいで)訪日が辛くなくなった。後期高齢者になった仲間たちとの、昔と変わらぬ気分での旅行も楽しい。人間は勝手なものだと思う。その仲間と本当なら今ごろはチベット鉄道に乗っていた筈、チベットで星空を眺めていた筈が・・と、コロナ禍が残念だ。

 

何時ものように10時には寝る態勢に入ったというのに、珍しく眠くない。寝つきも寝覚めも物凄く良いので日々「得」をしているオバハンだが、今夜はなんとしたことか! 先般からスタッフが2名増えて賄い以外の雑用が減り、そのせいで疲れが足りないのかも。寝付けないのならブログでも書くか・・とベッドから出てパソコンに向かった途端に眠気がやって来た。まったくどういうことよ!    
窓の外には木の葉の間に中秋の名月。ピッカピッカの満月が見え隠れしている。中秋の名月だから・・と言うわけでもないらしいが、たまたまきょうは月餅を頂いた。嬉しいなぁ~惜しくて食べられないわ。
月餅と言えば20年以上も前に「オバハンは月餅が好きだ」という話が来パされる人々の間で広がり、多くの方々から月餅を頂いた。横浜の有名な中華街のナンタラ、神戸南京街のナンタラ、それが数年も続いたろうか。その次は「演歌が好き」という話が伝わり、これまた多くのテープを頂いた。演歌に関しては自分でわざわざ聞いたことがないのに・・どこからそうした話が広まったものか。その時に、噂というのは事実と全く異なることがあると認識したな。   
その次は南部せんべいを次々と頂くことになった。南部せんべいは戦国時代から野戦食となっていたと聞く、さもありなんと想える素朴な古の味だ。アフガニスタンの荒涼とした原野をジープで激しく揺られながら噛みしめる南部せんべいの味は格別だった。近年はクッキー味の上品なせんべい、ピーナツやヒマワリの種、カボチャの種なども入った物もあるが、オバハンは昔からの胡麻せんべいが一等大好きだ。20年以上も昔の知り合い、オバハンの好みを忘れずにいて下さった方から3日ほど前に南部せんべいを頂いた、ただただ感謝!

 

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