2019年05月

オバハンの人生に影響を与えてくれた本の一つだ。 53年前に初めて読んだ時も大きな感銘を受けた。若い頃にも何度か読み返しているのだが、いま思えば字面しか読めていなかったと思う。
パキスタンへ通い、暮らすようになって40年。この間に「西域」と称する広大な地域を車で何度も走り、馬で2週間かけて踏破した地域もある。そうした時に見たもの触れたもの、経験などを加味して読み返してみると、陽射しや風、臭いまでが若い頃に読んだものとは違っている。ここ数年はタブレットで読みたい本が買える、なんと有り難い時代になったものか。

一昨日から超快晴。今朝は9時の段階で33度だった。そして今夏になって2度目の40度超えだ。とはいえ湿度は17%、室内は扇風機要らず。

帯広では40度を超したと。他の北海道全般でも5月というのに真夏日という。
ところが当地イスラマバードでは5月下旬というのに(パキスタンとしては)冷涼な日(30度台前半)が続いていて、有り難さを通り越し、驚愕している。昨日の朝などは16度で肌寒いくらいだった。 北海道の人たちが真夏日に度肝を抜かれているようなものかしらんと想ってみたりもするが。
とにかく今夏のイスラマバードは暑くない、まだ一度も扇風機すら回していない。このぶんでは6月になればバザールに溢れるマンゴーにも甘さが足りないだろうと案じてしまう。
パキスタンの暑さは日本の比ではない、例年なら4月下旬から9月下旬までの6ヶ月間、ひたすら体力の消耗を避けて暮らすオバハンだが、今年はまだ元気いっぱいで動き廻っている。
とは言え、いつまで動き回れるのかという不安と背中合わせの年齢だ。

何が20年なのか?
今の家に暮らして20年になる。その間、毎年2月半ばから3月にかけて、隣家の塀際に植えられている数本の杏らしき木に花が咲く。パキスタン北方のギルギットやフンザで見かける何種類もの華やかな杏の花とは異なるし、かと言って梅の花のように花弁が厚くはないしーーと、いつも頭を悩ます存在だった隣の梅らしきものに、20年で初めての実が付いた。
通年、イスラマバードの3月は暑くて30度を軽く超す。その暑さのせいなのかなんなのか、イスラマバードで梅や杏の木に実がなったのを見たことはない。だが、今年は5月下旬になるというのに、まだ30度前半の気温で涼しい。
桃栗3年柿8年、柚の大馬鹿18年というらしいが、隣家の木が小さな実を付け始め、この2ヶ月、日増しにふくらんで来て、今では部分的に小豆色に変わって来て初めて納得がいった。ツルツルした表皮の果実、子供の頃に食べた懐かしいスモモ。
昨日の風でたくさんの実が落ち、地面で割れてしまっていたが、もしかしたら6月初めには口に入るかもーーと、淡い夢を隣りのスモモさんに対して抱いている。

45年もの昔、初めてパキスタンへ登山に来た時の仲間から度々、メールを貰う。
「パキスタンやインドにイスラム国が出来て、日常に変化はあるのか?危険ではないのか」と案じるメールであり、ついでにイスラーム教徒についてのコメント等がついていた。 曰く、「原理主義を守るだけで時代の進歩、変化を取り入れられない。支配者(家長、男)の既得権。新しい信者は獲得するが、改宗する者には死をという身勝手さ」と。 彼女のイスラーム観はイスラーム教徒以外の多くの人(多くの日本人)もが感じていることだろうが、しっかり当たっているようで、まったく外れている。
まずは、聖典を疑うことなく日常生活を営むことこそが真のイスラーム教徒なのだという事実。神から預言者ムハンマッドへ下された啓示が聖典アル・クラーンであり、預言者ムハンマッドの言行録はハディーズという聖典になっていて、イスラーム教徒はその2つの聖典通りに日常を過ごせば間違いはないとされている。世界が目まぐるしく動く現代に1400年前の暮らしに疑問を抱くなと言う方がチト無理があると思うのは、オバハンが中途半端人間であるからであろう。 
だが、聖典に疑問を抱くことなく生きるのがイスラーム教徒であることを忘れてはならない。

きょうは断食月16日目かな、毎年この断食月になるとスタッフにむかっ腹を立て、「クビにしてやるぅ~」と思っても、自分が雇っているわけでもないスタッフなので首にも出来ず、思いっきりストレスを貯めこむ。とやかく言うても始まらん!とは言いつつ、昼間はず~~~っと寝ているスタッフたちの日常にはムカついている。そやからコイツらは進歩がなく貧乏人のままやんケ!と、品なく言い放ちたい気にもなる。

昨夜は1時間くらい雨風、気温が一気に下がった。毎朝5時半過ぎ朝陽が登る頃を目安に、屋上で15分くらいコーヒーを楽しむ。昨年は4月下旬には40℃になっていたが、今年はまだ1度も40℃になっていない。この朝のコーヒータイムで心の平安を保っている。

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