2016年04月

ようやく飛行機が飛び、ギルギットから首都へ帰って来て、まるで天国のようだと、普通生活の有難味を実感している。3月半ばから急激に体調が改善??されたように感じられ、急きょ1週間ばかりギルギットヘ行くと思い立ったものの、やはりギルギットは遠い。

ギルギットも昨秋から数度も立て続けに起こっている大きな地震で被害が出ている。そこへ3月末からの豪雨・洪水。 「いまギルギットヘ来たら大変なめに遭うから、時期を遅らせて~」という母子センター相談役の電話は軽く聞き流した。普通生活の中では被災地、被災者の困苦はなかなか想像が出来ない。

3月末の洪水ではギルギット上部の水力発電所が半壊。続けてまたまた地震で半分埋まり、24時間電気はなし。 急斜面の脆いカラコルム・ハイウエーは70㎞に渡って崩壊し続け、完全復旧の見込みもなく、ギルギットには食料も燃料の搬入もなく、文字通り陸の孤島。
連日、陸軍のC130がギルギットの小さな空港へ飛来、なんとか主食だけは運び込んではいたが、焼け石に水。 バザールで見かけるのは土地物の青菜とじゃがいもだけで、他は皆無。主食の小麦なども3倍近い値段で店も大半が休業、閑散。 役所には発電機をまわす燃料もなく、役人たちは真っ暗な中でデスクの前に座っているだけ。むっちゃ不気味~

電気なし、TVのニュースにも縁はなく、ギルギットで飲み食いできるのは、連日、薄い野菜カレーと小さなチャパティ1枚だけの生活。終日、空腹感はあるものの、とりあえず食べられたのは有難い。被災された方々の不安や困窮が想像できるというものだ。 そして、自宅へ帰って来て熊本やエクアドルの大地震を知った始末だ。


* 昨秋以来の大地震で、寒さに震えている被災された方々へは、母子センター相談役が中心になって以下の支援をしました。 春のミーナ・バザール用にストックしてあった衣料品(中古を含む)約800着、毛糸の帽子200、毛布20、男性用の大判チャドル20枚など。

ラホールで70人余りが死亡、300人からが負傷した大きな自爆テロ。  首都大統領官邸前で数日続いた反政府デモで焼き討ちに遭ったコンテナや、牽引のトラック。  完成してまだ半年もたたないメトロバスへの焼き討ち。
3月下旬から続く相も変わらずの治安の悪さに加えて、ギルギットやカシミールは荒天続き。カラコルム・ハイウエーは土砂崩れで2日朝から通行が停まったままだという。桃源郷フンザへの観光客が数十人、足止めを喰らっているというので、オバハンにも問い合わせがあった。
北方地域へはカラコルム・ハイウエーだけの一本道、雨が降れば通行止めになるのは必須。 某日本のTV局は大騒ぎをしていたが、当地に暮らす者には「よくあること、ふつ~~の状態」にしか過ぎない。

実は、10か月ぶりに体調が良くなったので急遽ギルギットヘ行こうと、3日早朝のフライトを予約していた。空港職員に北方地域の空模様を確認すると、「現在は曇天。一応、飛ぶ予定」と。 もともと北方へのPIAフライトは、巷で「パハップス・インシャラー・エアライン」と言われるくらい天候次第の不安定路線だ。ギルギットヘフライトは、常に一発では飛ないと自分に言い聞かせて空港へ行くのだが、最近は神の恩寵で一発・往復出来ていたので強気のオバハンだった。 
だが、2日ギルギットヘ出迎え依頼の電話をしたら、「豪雨でこの数日は電気もなく、当然、携帯電話への充電も出来ない。ネットも完全にデッドロックと。おまけに4月になったとは思えないくらいの寒さだ」と言われ、防寒着と寝袋まで追加する始末だ。
家の中で寝るにも寝袋があった方が良い気温と。冬、首都には降雪があり、この10数年、年々夏が短い。温暖化とは決して思えないのだがね。


「通行止めで引っかかっていません」  ついで「ブログを見たから眩暈は?」とのお見舞いを頂き、深謝です。

10日ほど前から晴れれば気温が30度を超え、急に身体が軽くなった。
昨年一年間は眩暈に悩まされ続け、まともに歩きもならなかった。 ヨレヨレしながら耳鼻科や脳専門医に通っても良くはならず、ついに晩秋から2月いっぱいまでは中国人の鍼医者にかかった。
鍼医者によると、耳と目から眩暈が来ているとかで、PCの使用は禁止になった。 この17年間、PCなしの生活をして来なかったし、ネットゲームに嵌っていた数年は1日、10数時間もPC画面を睨んでいたが、PCなど、ないならないで過ごせるものだと改めて驚いた。

で、この鍼医者、在パ30年でパキスタンだけではなく年に何回かは湾岸諸国へまでも出張治療に行く有名医者だったが、鍼治療が効いたのか効かなかったのか……正直なところ分からん。治療後、きょうは「効いたな…」と思うのは数回程度だったし。ただ、料金については日本並みだった。
約10か月まともに歩けなかったので、足が萎えたせいもあって、ヨレヨレ歩きが若干ましになっただけで、まだ足元はおぼつかないような気が残っている。

琵琶の実が色づき、桑の実が紫色の実を地面に落とし、マンゴーの花が咲き、庭木の総てが鮮やかな緑になって、家の中は平和そのもの。だが外の治安は悪く、一昨日、久々に外出をしたら家から数百mのところでは、焼き討ちに遭ったコンテナやトラックの残骸が転がっていた。
パキスタンに住んでいることの確認が出来、なんだかホッと???した。
趣味でパキスタンへ移住して丸35年……。移住の準備期間も含めるとアッという間の40年だ。

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