2015年06月

ーーーーNWA14年度活動報告からーーーー

NWAのセンターでは、健康で病気になり難い食事というので、いろいろな指導をしています。
現在の料理・栄養指導はラホールのカレッジで学んで来たナジマです。栄養指導の他に家庭で出来る簡単なケーキやおしゃれなデザート作りが得意です。
イスラームの大祭、断食明け、結婚式、ちょっとしたお祝いや集まりの席には必ず甘いものが出されます。ゼリーやカスタードなどインスタント物がバザールにはたくさん出回るようになりました。時にはそれ等インスタント物を上手にアレンジし、可愛いデザートに仕上げるのが女性たちの楽しみです。山村のギルギットでは今まで目にする機会もなかった、おしゃれで可愛いデザート、若い女性たちに大の人気です。
結婚を前に料理や栄養について学ぶ教室は何時でも定員がオーバーです。

またバザールでは高価で手が出ない嫁入り支度(ベッドカバーなどの寝具や室内装飾品)を自分で1年もかかって整える女性たち。縫製が出来るようになったことで近所の縫物を引き受け、ミシンや電気製品を購入する女性たち。中には「弟を私立の学校へ通わせている。その学資を稼いでいる」と、得意満面の女性もいます。
自立や自活には遠くても、現金収入に繋がることも学べる。そうした女性たちの話を聞いた村人は、「NWAセンターへ通って勉強をするのならば…」と、通うことを許可する家族が増えています。

中には、昨秋からアシスタント教師になったサイバのように、センターを「逃避」の場所としている女性たちが過去にも何人もいました。  サイバは14歳で結婚させられ、15歳で出産。嫁ぎ先では家庭内暴力など色々あって17歳で離婚。子供を嫁ぎ先へ残して実家に戻って来たものの居場所はなく、NWAのセンターが唯一の逃げ場でした。  「とにかく家から1時間でも良いので離れたい、離れれば深呼吸が出来るからと、殆ど誰とも口も利かずに黙々と3年半も通っていた」とは、センター相談役の話です。
家人がサイバのセンター通いを黙認していたのは、センターが女性だけで運営され、安心の出来る場所だと地域で認識されているからでしょう。そして手に技術も付き、新入生の指導を手伝っていました。昨秋のギルギット訪問時、結婚退職で教員に欠員が出るというのでサイバと面接。すぐにアシスタントとして働いて貰うことにしました。話が決まった時のサイバの恥ずかしそうな笑顔が忘れられません。教職員たちの間でも「サイバが笑顔を見せた」と、しばらくは話題になったくらいです。アシスタントとして働き始めたサイバ、日に日に明るい顔になり、近ごろではたびたび笑顔が見られると周囲は言います。

2002年からNWAの教室で刺繍を専門に教えているシャザディ33歳は未婚。パキスタンの田舎では15歳~18歳で結婚することが多く、30歳を過ぎての未婚は非常に稀といえます。イスラーム(教)、神から下された聖典コーランには、「結婚はしなければならないイスラーム教徒の義務」と書かれています。神から下された言葉(聖典)に100%従うことこそがイスラーム教徒に課せられた生き方です。 近年では識字率も上がり高学歴女性の結婚が遅くなっているとはいえ、25歳を過ぎて未婚でいることは恥ずかしく、また肩身が狭いことでしょう。シャザディの意志には関係なくとも、聖典コーランの教えに添っていないのですから。
シャザディも家庭に問題があり、結婚が出来ず、家にも居場所がない者の一人です。教職員や通って来る女性たち一人一人と言葉を交わす機会は僅少ですが、それでも多くの女性たちの逃げ場、拠りどころとしてのセンターが担って来ていた役割は大きなものです。

センターが完成した当初は、あれもこれも…と様々な活動を考えたものでしたが、今では欲張らず、女性たちの「避難場所」「時には駆け込み寺」である事実を大切にし、地域のオアシスとしての存在に意義を深めて行こうと考えています。



次回は、算数教室:初等教育を取り巻く環境と、今後について

ふと、NWA(日パ・ウエルフェアー・アソシエーション)の活動報告14年度分を載せてみようと思い立って…… 先般の報告会でも配布した「ニュース・レター」を引っ張り出してみた。
な、なんと……5年以上もギルギットのニュースを載せていない。我ながらショックだ。

ーーーNWAセンターは、女性たちのオアシスーーー
2004年の起工式から丸4年、2階建て8教室、母子保健室、栄養指導・料理教室、2つの大きなホール、事務室、職員室。センターとは背中合わせに、日本人ボランティアのための宿舎(3部屋と事務室、台所、居間など)が2008年に完備。  外国からのNGOが賃貸住宅を事務所にする中で、NWAは子供平和基金など、皆さまのお蔭で立派な自前の建物を持つことが出来ました。
「自前の建物である」ということは、2~3年の腰掛的な支援ではない。そのことが地域の信頼を得る元となっています。また、センターの教職員、生徒たちも立派な建物に胸を張って通って来ています。

パキスタンの(旧)北方地域はアフガンに接する(旧)北西辺境州と並んで閉鎖的な地域です。成人女性の一人歩きなどはあり得ません。バザールで買い物をしているのは初潮の訪れに遠い少女か老婆だけですが、それもめったに見かけることはありません。病気になっても女性だけでは病院へ行くことも出来ません。男性のエスコートが必要な社会なのです。

田舎では安全の確保(自衛)と経済的な事情のために、大家族で暮らすことが普通です。女性たちの多くは、「1軒の家に30人もが暮らし、互いの行動を見張ってアラさがしをし合っているような生活には息が詰まる。家の中にいるだけで気分がクサクサする、なんとか1時間でも息抜きに外へ出てみたいが機会がない」と嘆きます。
NWAセンターでは様々な習い事が出来ます。
結婚を前に料理や栄養について学ぶ教室は何時でも定員がオーバーです。GB州(旧)北方地域で唯一の料理・栄養教室では、近年、増えつつある成人病予防の献立が中心です。パキスタン料理では大量の油を使います。一家族20数人で使用する油は1か月に15~25リットルであり、まるで油を飲むような食生活です。また妊婦へのお見舞いには、貧しくて物のなかった時代の名残で、バターが(昔はどこの家でも牛やヤギを飼い、その乳を使って家でバターを作っていました)一般的です。妊娠中に1人の女性が消費するバターは6~20㎏だと言い、体重が20㎏も増えて出産に支障をきたす人が増えています。さらには出産後に元の体重へ戻る間もなく次の妊娠を繰り返し、20代でコレステロール値が異常に高い女性もいます。
貧しかった時代の名残で、今でも「太っている女性は良い(美人)」と考える風潮がパキスタンにはありますが、健康を考え正常値を知って貰おうとNWAの保健婦は村々への巡回に熱心です。
昔からの、現地に伝わる価値観はなかなか変えることが難しいものです。ギルギットなどはカラコルム山脈の麓とも言える地方にあり、平野部で生産され、幾つもの峠を越えて運び込まれて来た砂糖などは貴重品でした。砂糖の代わりに岩塩を使用する、チベットなどと同じように塩味の紅茶を日に何杯も飲む習慣のあるギルギットの人々が、塩と油の使用量に気を付ければ、どれだけ成人病(特に心臓病)の予防になることでしょうか。

インドの熱波も酷いらしいが、パキスタンも南部のカラチで酷いことになっている。
ニュースになってはいないが、ハイデラバードやシビなど内陸部は普段からカラチより気温が3~5℃も高い。それから想うと、呼吸も出来ぬほどの「熱さ」であろう。

とにかく19日から断食月が始まり、16~7時間もの絶飲食だもの……脱水状態になって当然だ。 我が家は夏休み中、オバハンだけなので仕事もない。早い話が住み込みのスタッフたち10人の殆どが昼近い時間まで寝ている。オバハンも歳をとったせいでまるくなり、それを黙認。夕方の断食が明ける時間には、まずは経口飲料を…とやかましく言う。 冷たいだけの生水を大量に飲むのでは、吸収率も悪かろう。
熱中症で亡くなる原因は脱水症状だけでない。田舎では1日12~18時間という停電も死者を増やす因になっている。26日金曜礼拝後は、野党がこぞって政府に対する抗議のデモを全土でするらしいが、どうぞ雨になりますように。
首都はようやく今朝、雨に見舞われた。4日前も2日前も雨は我が家の10㎞くらい東までしか来なかった。 昨夜などは遠雷だけで、雨がどれほど待たれたことか。この雨と曇天が抗議デモの26日まで続けば、デモの最中に倒れる人もないだろうと思うのだが。
  
オバハンにとってのパキスタン暮らしは、「便利さの追求よりも不便さを楽しむ」というのもあるが、酷暑の停電は辛い。だから停電でも涼しく暮らすための努力を惜しんでいない。日本の常識とは異なる生活だ。

例年より気温の低いパキスタンから、乾燥と晴れが続いて30℃ある日本へ到着、珍しく体調は万全。
ごく普通のご飯が超美味しいと、幸せを噛み締めていたオバハンだ。だが好事魔多し…… 来ましたねぇ~眩暈が。
いつもは日本へ行くのが憂鬱で、日本への出発3週間くらい前から出る眩暈なのに…… 結局、日本に居る間は眩暈に悩まされ、一時はこの世の終わりかと思えるほどの酷さで、辛かった。
自由気ままに暮らしているパキスタンでは、体調が不良になることは少ない。判で押したように日本へ行く1か月くらい前になると、不思議と体調が崩れるのは…… これは単なる我が儘病なのかな……

そして2週間ばかりの日本滞在を終え、帰パしたら、今度は40℃を超す酷暑。PCからは70℃の熱風が吹き出し、火傷しそうだ。 
1か月ぶりに出た街では熱風が渦巻き、夏の象徴、百日紅の花とゴールデンシャワーの黄色い花色が街角に溢れている。やっぱりパキスタンは素晴らしいなぁ。

断食、初日の金曜日、近所のモスクでは礼拝に行った人たちのうち何人もが倒れたと聞く。  新聞やTVでも熱波のニュースばかりだ。カラチでの熱波では140人あまりが死亡していると伝えているが、きょうは昨日より確実に暑い。断食中は食事の準備時間に「ご配慮」があるようで、その時間帯には停電がない。オバハンは直径が25㎝という小型の充電式扇風機で熱さを凌いでいるが、体力のない者にとっての停電はなかなか厳しい。

インドでも熱波で多くの人が死亡していると伝えられている。死者の多くはイスラーム教徒に違いない。
この酷暑の中で日の出前の3時半から夕方7時半まで16時間余の断食は辛い。33年前のオバハンなら耐えられた、この夏至の時期の断食、今では「試そう」という気にもならない。

NWAの年次総会と督永忠子の現地報告会が、品川区大崎第一区民集会所 電:03-3491-2000 (品川区西五反田3-6-3)第5集会室15時からです。

パキスタンでは無差別テロが止むことなく、多くの子供たちや市民が犠牲になっています。また、イスラーム国での日本人殺害などを受け、イスラーム(教徒)=恐ろしいものと思われがちですが、本来のイスラームという意味は平穏を意味しています。
パキスタン国内の治安状況悪化の根底にあるのは、政情不安、インフレ等による経済不安(失業者の増加)、政官構造の腐敗、教育普及率の低下やインフラ未整備などです。中国が今年から5兆5000億円という巨額な支援をすることが決まっています。巨額な支援が末端に届くことは通例なく、国民の不満や不信がテロ事件や犯罪件数を増加させているのです。

パキスタンにおける犯罪発生総数は。統計に表れただけで、この10年で3倍に増加していると言われています。
それ等、治安の悪化もあって、この4年間、NWAでは支援現地へのスタディ・ツアーも開催できず残念です。
一番、初めのスタディ・ツアーは2004年で、春にNWAセンター起工式。起工式にはセンター建設にご尽力を頂いた(現)参議院議員の田城郁さん(右端)にもご参加を頂きました。
田城議員とは2001年911同時多発テロ以来のお付き合いで、2002年からアフガンやパキスタンでの現地支援活動にご一緒すること約600日間におよんでいます。
パキスタンではNWAセンター立ち上げ起工式などのご縁もあって、2014年の総会後に田城議員にはNWAの顧問をお願いし、快くお引き受けを頂きました。

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