2014年10月

先の9月、(旧)北方地域ギルギットやスカルドゥへのフライトは殆どなく、ようやく10月に入って順調に飛び出した。メッカへの巡礼に臨時フライトを増やしたので、機体が足りなくなっていたようだ。 ということは来秋からも3年間くらいは、秋のギルギットへのフライトは間引きされる可能性が高い。
犠牲祭が終わり、シーア派の宗教行事までの1ヶ月間、ギルギットも結婚式シーズン。役所でも1ヶ月間の長期休暇は常識・・・まったく仕事にはならない秋だった。 NWA(日・パ アソシエーション)から奨学金を貰って優秀な外科医になったDr.カリームも、この秋、結婚式を挙げた。

ギルギットにいる時、マララのノーベル賞受賞が決まったとTVなどでは随分ニュースになっていたが、パキスタン全体では物凄く冷めて受賞を捉えた人が多かったようだ。騒いでいたのは英米日が中心だったのではないのかしらん?
日本では「パキスタンの保守派がマララを嫌悪している」 あるいは「中間層がマララを嫌悪している」と報道されていたが、パキスタンの人々は狭量のゆえにマララを嫌悪しているのではない。 オバハンが感じたのは自伝「私はマララ」をきちんと読んだ知識層こそがマララを・・・というか、その背後にあるものと、オバハンから見ても反イスラーム的な表現が随所に見られることにパキスタンの人々は嫌悪感を示したのだろうと感じている。

パキスタン人の多くがなぜマララ(その背後にあるもの)に嫌悪をしたのか?
マララが武装勢力に襲われ撃たれた時に乗っていたというスクールバス(トヨタのハイラックス)を、オバハンは実測してみた。
荷台の床から荷台を覆っている幌の最高部までが150㎝、立って乗る人のために幌の天井部分に持ち手が4つ付いているから天井までの高さは実質140㎝。荷台の車幅は140㎝、荷台の奥行きは240㎝で、荷台の面積は畳2畳分よりやや広いくらい。
パキスタンの小中学生が通学に使うスクールバスと称する乗り物は、殆どがスズキの軽トラか、ハイラックスに幌をかけ、ベンチ式の椅子を設置したものだ。

自伝「私はマララ」によれば、ここに2人の襲撃者が乗り込んで来て、「どいつがマララだ?」と聞き、ピストルを撃ったとなっている。 襲撃者が2人、スクールバスに乗り込んだら、最初に乗り込んだ襲撃者の立ち位置は荷台の真ん中に近く、車の天井までの距離を考えると襲撃者は当然やや屈みこんでいたろうと想う。
マララは真ん中あたりに坐っていたというので、マララの目線は荷台の上で約120㎝くらいだろう。対して襲撃者はやや屈み込むことになっていたろうから目線は約130㎝くらいか。

マララと襲撃者との距離は、顔を接しておりピストルを持った手は伸ばさなくともマララの目の前にあったと想われる。 マララに対する脅迫、あるいは嫌がらせの意味で銃撃をするのであれば車外からでも出来る。大の大人がピストルを握った手を伸ばせば、荷台に乗りこまなくとも、荷台の真ん中あたりに坐っているマララに銃口は50~60㎝の距離にまで近づけられるのだから。
わざわざ車内に乗り込み、マララと顔が触れるほどの距離にまで近づいて3発も撃ったにもかかわらず、「あの程度の傷」で済んだのには、確実に殺そうとする意思はなく、むしろ確実に軽傷にするための至近距離だと知り合いは言う。また他の報道関係者の一人は「マララを撃ったのはゴム弾」であったと言い切っている。
第一、コルト45を至近距離で撃ち、弾が首を通過、鎖骨で停まっていたとは、どんな粗悪なコルト45であり、弾を使用したのだろうか。

パキスタンの人々は、まずスクールバスに乗り込んだという襲撃者2人の立ち位置と、マララの坐っていた位置を想像し、また粗悪すぎるピストルと粗悪な弾に大きな疑問を持ったのだろう。「オカシイ」、これには何か裏がある筈だと。

パキスタンの報道に対する自由度は、ここ10年、北朝鮮と並び世界のワースト10に入っている。ワースト3だった年もある。つい先日も民間テレビ局が、番組に司法を中傷する内容があったとして、高裁が放送禁止を命じている。他にも民間TV局の放送禁止は年初めだったかにあった。パキスタンでは政府や軍部、過激組織を中傷・刺激することは身の破滅に繋がることがあり得るのだ。
今年もパキスタンでは著名な報道関係者や記者が何人か撃たれ亡くなっている。報道関係者たちは、箝口令を敷かねばならなかった病院等々から「裏がある」と各々、理解し、そこに何らかの圧力を感じて正確に報道することを控えたのであろうと、オバハンは勝手な想像をしてみた。

近年のノーベル賞は政治的な意味合いのものが多いので、「政治的」なものであると理解し、マララの果した役割(世界の人々に、未就学児童、特に女児の就学について考えさせたという意味合いで)は、評価される。

アフガン大統領がガニ氏に決まって、来年2015年以降もアメリカ軍がアフガンに駐留するという安全保障協定の調印式が行われた。協定を結んだことで、アメリカ軍とNATO軍は引き続きアフガン軍の支援やテロの脅威への対抗、地域の安全保障に関わって行くとしている。

アメリカの傀儡、アフガン大統領カルザイの任期切れにともない今春4月初めに大統領選挙があった。カルザイは在任10年間のうち9年間くらいはアメリカにすり寄り、任期切れが近くなったらアメリカの悪口を「これでもか!!」というくらい言いまくり、アメリカの駐留にも反対を表明していた。
言いたいことがあったのは解るが、すり寄っていた分、そして黙ってアメリカの言いなりになっていた分の見返りや、受け取ったであろう賄賂は莫大だった筈だ。
アフガンの国家予算は約4000億円、アフガン政府の予算と国際社会からの援助金は1:2だとか言われているし、一説には国家予算の9割も国際社会からの援助だとも。
国際社会というか、主にアメリカと言い換えるべきなのか・・・アメリカからの莫大な援助金はカルザイと有力個人に懐に流れ込み、国民には殆ど届いていないとの報道は枚挙に暇なし。

今春4月上旬のアフガン大統領選には札束が飛び交い、選挙妨害・テロ等で死者も多数出た。5月下旬にはオバマが急遽、訪ア。7月には投票された票の数え直し。9月21日ようやく大統領が決まった・・・この間5ヶ月余、アメリカからアフガンへ特使が「大統領を決めるため」の話し合いには何度、飛んだことか・・・
いったい幾らで大統領が決まったのか、話し合いが付いたものかと、下賤なオバハンにはそればかりが気にかかる。
駐留にしろ撤退にしろ、「沖縄の米基地」と同じように国民の知らない密約があり、大枚のお金が動いたことだけは想像がつく。

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