2014年06月

きょうから断食月に入った。イスラム暦は純粋な太陰暦で廻るため、毎年11日ほど早くなり約33年で季節が一巡する。オバハンがパキスタンへ(正式に)移住して来たのは33年前、「イスラーム教徒は同じ季節のラマダーンを人生で2度経験する」と言われる通りになっている。

今朝も未明3時前に食事を終えて、日没近くの7時30分まで飲食、喫煙、全ての快楽が禁止となるが、今夏の気温は例年に比べると僅かながら低い。ほんの心持ちでも暑さがマシなのは救いかな・・・
とにかく日に数回の水を被ったのは僅か1週間だけだった。ここ3日、雨が降りそうで降らない、蒸し暑いモンスーンらしい白っぽい空になって来ている。アッラー(神)の恩寵によって思いっきり雨が欲しい。それでないと暑くて何も考えることが出来ない。


さて、その後のペシャワール空港。 エミレーツ、サウジアラビア、カタール航空などペシャワール(イスラマバード)へ乗り入れていた航空会社がフライトを見合わせることになった。
報道が交錯しているせいなのか、イマイチよう分らないが、過日の飛行機への銃撃では機体に50発も銃痕があったという。警察発表によればM16が使われたというから、ごく普通の自動小銃だったようだ。ロケット砲やスティンガーに限らず、鳥が機体の繊細な部分に吸い込まれても重篤な事態に陥るのだから、50発も当たっているにもかかわらず着陸できたのは実に幸運だったと言える。
警察や治安部隊は容疑者を200人も逮捕したというから、今後は空港の周りに不用意に居るだけでも逮捕されそうだ。

政府は武装勢力のいる地域に空爆を繰り返し、連日10数人を殺害したと発表している。
武装勢力の掃討に陸・空軍は8万人もの兵士や治安部隊などを投入し、断食月が始まる前には「カタをつける」としていたが、実のところはまだ本格的な攻撃にも入っていならしい。事態は長引きそうだ・・・

1年中で最も暑い夏至にパキスタンで「雹」を見たことに驚いたオバハンだったが、パキスタン上空の寒気はそのまま日本まで行ったようだ。北緯36度くらいのイスラマバードの天候は偏西風に乗って2日遅れで日本へ到着するのが常だ。で、2日遅れで関東地方の一部に降雹だと。一部には70㎝も積もったというから、自然現象とは言え凄い。


さてさて、自然現象ならぬ人為的な「報復」で、ペシャワール空港では昨24日夜、乗客178人を乗せたパキスタン航空機(エアバスA310)が、着陸間際に地上から銃撃されたとの報道。
ロイター通信などによると、「同機は高度1500メートル付近の低空で、客室などに6発程度被弾したが、そのまま着陸した」と。搭乗客が1名死亡、キャビンのアシスタント2名が負傷というが、銃弾のあたり場所によっては墜落していたことだろう。 
ロケット弾や、アメリカが武装勢力に手渡したスティンガーなどは、まだまだ現地に残っているだろうし、撃ち落とす気になれば、どこからでも撃てるのがパキスタンであり、実に恐ろしいことだ。
ペシャワール国際空港は過去にも何度か武装集団の襲撃を受けており、4月28日にはロケット弾2発が撃ち込まれて滑走路が破損している。

これで海外からパキスタンへ乗り入れている航空会社は撤退に加速がかかるだろう。 EU諸国大使館なども一時的に撤退を考えるところが増えそうだ。

ラホールではカドリ師が政府を相手取って「大衆運動」を始めるのだろう。政府は内から崩壊しそうで危ういことだ・・・

昨日は夏至。この夏至の前後がパキスタンでは一年中で最も暑い。 だが、なんとしたことか!!アッラー(神)の恩寵によって有り難いことに、昨日は夕方に今夏、初の1時間スコール。それも大きな雹を伴う賑やかさで。 6月に「雹」が降るなど・・・この30数年では初めてだ。おかげで夜は涼しく快眠。
この涼しく清明な空は、ロンドンから「大衆運動」のために到着するであろう、カドリ師と支持者へのプレゼントかもしれない。TVでは支持者の様子を映している、どうぞ死傷者が出ませんように・・・

さて政府は昨日曜から火曜日までイスラマバードとラワルピンディの、すべての市民集会に禁止命令。カドリ師の到着歓迎のために空港や近隣地区に入ることなどを禁止し、空港への道路はすべてが大型の貨物コンテナやトラックで遮断された。カドリ師の乗る飛行機はイスラマバードへの着陸許可が出ず、ラホールへ向かったとTVの報道だが、ラホールでも着陸許可が下りないようだ。(飛行機は最終的にラホール着。イスラマバード空港への道は、なんとか確保できそうだ。何しろ、本日は日本から到着するお客様があるのだ)

政府は今朝からイスラマバードとラワルピンディの隣接都市間、ラホールでも携帯電話のサービスを停止させた。

カドリ師はイスラマバードで座り込みを行なう意図はない、また民主主義に対する脅威を醸成することでもないとしている。1年半前の超腐敗政権PPPパキスタン人民党に対する大規模抗議行動を見ていて、オバハンはカドリ師の隠れファンになっている。 カドリ師直属(というのかな)の学生たちの整然とした、一糸乱れぬ行動。集会後の清掃などにも(パキスタンとしてはあり得ぬ清掃行為に)好感を持っている。 一般の大衆がどこまでカドリ師の意図を理解し、政府への抗議行動に参加をするのかは疑問の面もあるが、混乱を一切望んでいないカドリ師のためにも、死傷者が出ないことを切に祈る。

世界の多くではワールドカップに目が集まっている。しかし、その陰では電気なし、ガスなし、水なしの生活に喘いでいる多くの人が居る。 生活苦だけではなく世界中で内戦などによって命の危機に見舞われている人たちもたくさんいる。
パキスタンでは武装勢力への政府軍により大がかりな空爆から逃れ出た難民が25万人に達したという。

はやばやとキャセイ航空がカラチ空港からの撤退を決めた。外国からの企業、航空会社、駐在する欧米人の家族も暫くはパキスタンから離れるのだろう。

華々しい武装勢力掃討の陰??になってさほど大きくは報道されなかったが、17日だったかラホールでは現政権に対する大な抗議集会があった。(今朝の新聞ではTV報道もあって無視できなくなったのであろうか?一面トップから2番目の扱い)
一般国民は電気なし、ガスなし、水なし等々の生活苦を解消して欲しいと念じての抗議集会だったが、政府は集会側の要求には回答せず。 その上、抗議集会の指導者カドリ師の事務所に至る9本もの道路を封鎖。 結局(きっとささいなきっかけで)警官側と集会側が衝突が始まったのだろう。何時の衝突も最初はささいなことなのだから・・・

そして11人もが死亡、報道によれば90人近い負傷者が出ている。TVなどでは200~400人の負傷者だと報じているところもある。衝突があったのは一般住宅地区(モデルタウン。それにもかかわらず治安部隊側は催涙ガスや発砲で労働者や一般市民と応酬。地元住民から大きな非難を受けている。

カドリ師は1年半前の冬にも超腐敗政権PPPパキスタン人民党に対しての抗議集会のリーダーを務めている。あの大抗議集会も当初は300万人をも動員する(される)予定の大抗議集会だったが、最終的にはカドリ師の率いる5万人くらいだったか、他、野党連合は腰砕けになって抗議集会は成功とは言えなかった。しかし今回の集会にはパキスタン正義党のイムランカーンや、TMQが一緒だ。
この衝突も政権を揺るがすことに繋がるのかも。


一雨が来て、気温は少し下がったが蒸し暑い。

昨日の暑かったこと。最低気温が28℃。夜になっても室内には昼間の熱気も残り、普段はほとんど汗をかかないオバハンなので、流れっ放しの汗には不快でまいった。そして我慢が出来ず、夜にはついに今夏初のエアコンの稼働。まったく根性ナシだ。 エアコンを入れれば室温は29~30℃で安定。「やっぱり超快適や・・・」と感動しながら眠りについた。

そして未明3時前、遠雷に起こされた。遠雷は爆発音とは異なるが、神経が尖っているせいか静かな住宅地区では遠雷にも目が覚める。3時半過ぎ樹木が大きく枝を左右に揺らした直後、ここ数日、待ちに待っていた雨。外気温が急激に下がって行くので、家に篭っている熱気を出そうと窓やドアを開けて廻った。ドアを開ければ家中へ蚊が入って来る。しかし熱気よりは蚊の方がましだわと思いながら。
2階は朝方でも気温が45℃以上もあって、階段の手すりには掌で掴めない熱さが残っている。熱地獄だな・・2階は。 何年か前、新たな赴任者に「家を借りるのなら必ず2階建て。夏は1階で過ごし、冬は2階で過ごす。もしくは1階を借りること」とアドバイスをしたが、「鹿児島で暮らしていたので暑さには慣れています」と。 パキスタンでは1階に大家が暮らし、2階を他人に貸すという建て方の家が多い。


さて、武装勢力。軍は武装勢力が多く暮らす北ワジリスタンと隣接地域を封鎖。アフガンにも国境を封鎖するよう要求したと。 
国境??? 陸続きの国境など、山岳民族の彼らからしたら何処でも突破出来るわ。 8年くらい前だったか、アフガンの山岳地帯で45度以上もある大石・小石の混ざったガラ場の斜面を、苦も無く全速で走り下りる彼らを見てから、運動神経の違いをまざまざと認識した。 オバハンなどは45度の斜面上に立つだけで足が竦んだというのに。(オバハンは大昔、山登りにうつつを抜かし、パキスタンの山に憧れて移住したから、まったくの素人よりは斜面に強い筈なのに)

国境を封鎖しても、武装勢力の爆弾製造工場6ヶ所を潰しても・・・政府に不満を持つ彼らは(全員ではないだろうが)「目的遂行」を諦めないだろう。 
軍は「作戦は計画通りに進行している」と発表し、平和になるまで作戦遂行をするとしているが、主要都市など国内で暮らす一般人も武装勢力の報復に巻き込まれる機会が増えることをわすれないで欲しい。
なんだかフト戦前の日本を思い出してしまった・・・陸軍は一般国民の犠牲などなんとも感じず、自分たちの計画に拘ったというあたりに。

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