2014年03月

3月が終わる。 朝晩の気温が緩み、春分を過ぎたので陽も長くなって来たことを実感している。
3月23日は昼夜の長さが同じ春分だが、当地のパキスタンでは23.Marchは独立宣言記念日だ。

ドケチ・ドケチのザルダリ大統領は、23.Marchを在任中の5年半、ただの一度も祝わなかった。預言者ムハンマッドの生誕日にも祝砲の1発も撃たなかった。 8月14日の独立記念日もなかった。 国が行うべき式典という式典はすべてなかった。 多くの人がザルダリはパキスタン人ではないとまで言い切った。

PPP(パキスタン人民党)政権からナワーズ・シャリフ政権になって、1月半ば預言者ムハンマッドの生誕日には未明から祝砲が鳴った。首都の後背にあるマルガラ丘陵に鳴り響き、少しこだました。
23.Marchには祝砲が撃たれるか、どうかとオバハンは朝6時前からソワソワしながら待っていた。ぴったり6時から始まった祝砲31発、そして9時からの簡素だけれども(心の籠ったように見えた)式典に感激した。祝日にもかかわらずスタッフたちの朝食は普段より1時間半も早かった。

ムシャラフ大統領時代のように23.March前の1ヶ月間、首都の上空で繰り広げる航空ショーの練習はなかったが、今春の23.Marchの前日には晴れ上がった初夏の空に、戦闘機が圧縮した轟音を排出、錐もみ飛行3回だけの練習があった。 式典に大統領官邸前大通りでの軍事パレードがなかったのも良かった、これは不要だと思う。しかし式典は国威を内外に示すものではなく、国民の心を高揚させる効果があると感じたな。
久々にパキスタンに居て良かった~~~と思えたもの。オバハンのメンタリティはやっぱりパキスタン人だわ。

そして…10日ほど前に、なんだか怪しげな援助金がサウジアラビアなどの中東から大量に入って来た。1$が107ルピーだったのに1$-97ルピーにまで戻った… 1割もルピーが強くなった????  政府幹部のごく一部は大量の支援金がサウジなどから来ることを知っていたろうし、支援金が入って来る前に換金していたら10%差額が出るんだもの… 後々インサイダー取引なんぞと騒ぐ報道があるかもな。なんだかなぁ…
大量支援金サマのおかげで電気なし、ガスなしが少しは改善されそうで春と言えるかも。改善されないと経済活動に障るものな。

4日続きで春雷と雨。葉を落とし幹だけを黒々と並べている雑木林の中に、真っ白な杏の花が満開となって存在を誇示している。庭のスイトピーも小さな蕾を付け出し、イスラマバードは本格的に春めいて来た。しかし山沿いでは降雪がひどく寒さも緩んでいないようだ。まるで政府と武装勢力との力関係みたい。

先月6日から始まったパキスタン政府とタリバーンとの和平会議。予測に違わずというか…残念なことに、やはりまとまりそうもない。 政府もタリバーンも依って立つところが根本的に異なるのだもの、無理からぬわ。  
現代に生きる世俗的な政府と、預言者ムハンマッドが神からの啓示を受けて作り上げられたクラーン(コーラン)、そしてハディースと呼ばれる預言者の言行録、これらに従ってイスラームの原点に回帰しようとするタリバーンたちでは、どこまでもどこまでも、どこまでも平行線だ。

政府軍・武装勢力側、この2週間ばかりでいったい何人がテロや、政府側の空爆などで犠牲になっているか……  つい数日前、1ヶ月間の停戦がなったと言いながら、首都では1ヶ月近くにわたって「超厳重警戒」が続いたままだ。テロリストが10人以上、市内に潜伏だと言われ続けられて1ヶ月か、それ以上か?  毎週、毎週、発出される「警戒警報」 まったくオオカミ少年だわ…… 
そして、今朝7時には重装備の兵士やヘリコプターが出動したというから、政府は何かを掴んだ模様。 だが朝8時半、市内、F8地区内に所在する地方裁判所内において、爆発・銃撃事件が発生。
判事を含む13名死亡、及び25名が負傷。 オバハンは安否確認の電話を大使館から受けて、久々に膝が震えた…  朝、息子が裁判所へ行って来ると出かけていたから。息子は裁判所近くの道路で大混乱に巻き込まれただけだったというが、オオカミ少年よ、2度と出てくれるな!!!と言いたい。

犯行声明が何処から出るのか、出たのか知らないが… 和平交渉は遠い。






 

 

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