2014年02月

2日前の満月は素晴らしかったが、朝は厚い雲で陰鬱な空だった。夕方からは雷・小雨、雹、気温は下がっている。この冷え込みがまた日本へ向かうことだろう。日本も全国的に寒く、雪のところが多いようだ。

エネルギー不足が深刻化している。過日は調理も出来なかった。5つ星ホテルでさえ、一昨日は食事を提供できなかったというから笑える。いや、笑えない。  政府は「1月からの2ヶ月間はすべての分野を対象に、産業用の圧縮天然ガス(CNG)の供給を停止する」と表明した。 冬を迎えて需要が高まる家庭への供給を優先するための措置だとかで、家にいるだけのオバハンとしては大変ありがたいのだが、これでは経済活動が成り立たない。

パキスタン政府は日本をはじめとする海外からの投資呼びかに力を入れているが、電気なし、ガスなし、水も(時としては)ない状態では…パキスタンへ来て「工場設置」というわけにも行かない。 時たま日本から「海外移転や合弁」の調査とやらで通訳業務等がオバハンの事務所に生じるが、調査に赴く会社が「本当の資料を用意しているのか? 粉飾ではないのか?」なぁんて日本では考えないのかね???  当地には通訳以前の問題がイッパイある。

さて、車の燃料であるガスが供給されるのは週に2日のみ。ガソリンスタンドの前は長蛇の列。時には何㎞にもわたって2重3重の列だ。見るともなしに見ていると、横入りをする輩も多く、警察官が100mおきくらいに立って横入りを咎め列から追い出している。しかし横着な輩は、列から出て再び20mほど前の列に割り込んでいく。オバハン家の車はすべてガソリン車、ジーゼル車で、この列には並ばなくても良いのが有り難い。ただしその分、高い燃料代だ。


武装勢力との話し合い。数年前にも確か・・・「和平の話し合い」が武装勢力との間であったなぁ・・・と思い返している。あの時も和平合意の後1ヶ月もしない間にテロはあったし、今回も和平会議中だと言うのにカラチやペシャワールでテロ頻々。
イスラーム法の導入を政府は認めないだろうし、決裂、軍事作戦という構図が見えるようだ。

気持ちよく晴れたのは1日だけで、空は再び厚い雲におおわれ出した。今朝は珍しく足先が冷える。寒さでガスの消費量が多いのだろう、ガスの欠乏でヒーターが使えない。温水給湯ボイラーの種火までが勝手に消えてしまうと、スタッフたちもこぼしている。

6日から政府と武装勢力との間で和平交渉が続いている。 
武装勢力側の要望は… まずは政府に囚われている7000人の武装勢力を解放すること。 イスラーム法の導入(イスラーム法に基づく国造り)が議論されない限り、今後の和平協議には参加しないと。
この2つ、どちらも政府としては絶対に飲めない条件だ。 

オバハンはオバハンなりに、対話が和平合意に繋がるようにと祈っていたが、この和平交渉は決裂するためにあるようだ。決裂の結果、政府と武装勢力による大きな武力衝突になり、治安はさらに悪化するということだ。
武装勢力に身を投じながらも、和平、平安な暮らしを望んでいる人は少なくないだろうに…

6日ぶりに澄んだ空になって暖かい陽が射した。郊外では降り続いた雨で麦が一気に倍近く背を伸ばし、菜の花は黄色のまだらで地面に染めていた。街路ではれんぎょうが花をつけ出したし、新芽が急速に膨らみ始めた。 首都を取り巻く1000m級の丘に降雪は見られなかったが、1時間ばかり離れたマリー丘陵などから東北部の山間は大雪だった。この数日の寒々しい雨のせいでガスストーブを使う家も多かったのか、昨夕は調理用のガスも足らなかったと聞く。
この寒波が日本へ向かったのだ、首都圏の大雪を目にし、きょうの都知事選の行方はどうかと気にしている。


6日から政府と武装勢力との間で初の和平交渉が、この4日間続いてトップニュースとなっている。政府の治安確保・和平に対する姿勢が解る。  パキスタンではムシャラフ元大統領がアメリカの言いなりになって反米・反政府武装勢力や、国内にある神学校に対して弾圧を強めた7~8年前から治安の悪化が急激に進んだ。2007年からイスラーム武装勢力TTP(タリバーン(連合)運動と近年では称されている)は自爆テロなどで政府や国民を脅かせていたのだが……  このほどパキスタン政府とTTPとの間で和平に向けた会合が持たれた。対話が和平合意に繋がるようにと祈っている。
しかし武装勢力は1枚岩ではなく、各地で活動する何十という武装勢力がTTP(タリバーン連合運動)と名乗っているだけだもの… 特に、他人の言うことを素直に聞いて行動する人間性を備えていない独立独歩の人が多い、当地のお国柄。 その上、いつの場合にも…「撥ねっ返り」はいて、合意が意味なさないことはあるからな…。
実はいま、子供たちが武装勢力になる(なっていく)過程、理由について考えている。

立春、首都は今年に入って2度目の雨。空は一昨日から厚い雲におおわれたままだが、気温は確実に高くなった。最高気温は18℃までしか上がらなかったが、昨日の最低気温は7℃だ。

本日はカシミール・デー、道路には大きな立看板、「独立」の文字が躍っていた。ほとんどのの学校と役所は休日。インド人たちは自宅待機だという。街には走る車もなく閑散。大統領官邸前の広場では「式典」の用意が進みつつあった。ザルダリ政権の頃は「式典」すべてがケチられていたが、ナワーズ政権になってムハンマッドの生誕記念日等では祝砲が復活したし、パキスタンらしくなった。 それにしてもザルダリは貯めこむ一方で、祝砲ひとつ鳴らさなかったな。

パキスタンはインドと共にイギリスの植民地支配から1947年に分離独立したが、その時以来、カシミールについてはパキスタンとインドが共に領有を主張し、3度戦火を交え、帰属をめぐる対立が続いている。
印パ間には様々な確執があるが、中でもこのカシミール問題はパキスタンにとって譲れないことの一つだ。

カシミールはインド・カシミールと、パキスタン側カシミール、アザド(自由)・カシミールと北方地域に分かれ、1947年から印パ国境帰属未定の国連管理ライン下で、それぞれが国連の調停により実効支配して来た。アザド・カシミールも北方地域も事実上はパキスタンの行政管理下であったが、帰属未定地域ということで、パキスタンであってパキスタンではない中途半端な地域だった。

しかし2009年8月末、北方地域は大統領名と内閣によって「ギルギット・バルティスターン州」として格上げがなされ、自治権が与えられた・・・・・とは言うものの、自治権があるのはごく一部の行政部門で、いまだに正式な州とも言えず中途半端であることには変わりがない。(旧)北方地域の住民には国政選挙に対する選挙権も議決権もない。

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