2011年04月

4月も後すこしで終る。外気温がようよう40℃になって2階では寝苦しくなったが、夜間は気温が20℃を超えないこともあって1階ではまだ布団をかぶっている。こんなことは30数年で初めてのことだ。とは言え100年、200年、500年というスパーンで見れば度々あったことなのかも。

東日本大震災もそういったスパーンでは過去に何回かあったことなのだろう。なかったのは原発事故くらいで…
それにしても…大震災後の政府の手際の悪さ。地震から1ヵ月半も経って対応するために3つの組織を再編って…… 「地震・津波」「原子力発電所事故」「復興」の3分野というが、こんな会議ばかりをしているから現場での被災地支援が出遅れるのだ。じゃぁ今まで何をしていたの?って誰でも思うわ。
この半世紀、日本は世界中で起こった天災への支援を貴重な国税を撒き散らして(主にアメリカに対して)良い顔をして来たが、実際に被災者がどうなるのか、起こる2次、3次の被害などについては学習していなかったとオバハンには思える。
長期展望は必要だが、「被災者はきょうの暮らしに困窮する」との視点が欠けていた気がしてならない。
パキスタンでも近年は100年に1度と言う地震(死者8万)や洪水(被災者2000万人)に見舞われた。アチェの大地震を初め、世界中でどれだけの災害が起こったか… そして、それらに共通する病気や被災者の困窮は世界共通で判っていた筈なのにと、政府の無策ぶりに腹が立ってならない。
言い訳はどうとでも出来ると。 震災直後の緊急支援、いまは生活を立て直すべく中期支援、そして長期支援とあるが…さてさて、政府機能はうまく働くのか。

さてパキスタン。当地でのニュースは津波被災が影を潜め、福島原発一色になった。
日本の悪しき文化(馴れ合い)がこの事故を招いたと。当然、日本への支援金が当初のバザー分のみで、その後は集まらない。



この3日間、首都大統領官邸前では大規模な抗議集会が開かれて、急に暑くなった風に乗って政府やアメリカに対する抗議が自宅まで聞こえる。米軍の無人機攻撃では民間人が巻き込まれるケースが相次いだこと、ラホールで住民2人を射殺した米スパイがパキスタンによって審理されることもなく出国してしまったこと等、国民が反発を強めている。
集会は次期、首相の声もある元クリケット選手、「正義行動党」のイムラン・カーンで、「米国人と同じようにパキスタン国民にも人権がある」と訴えている。 「正義行動党」は国会に議員を送り込んでいない小さな党だが、若者らに広く支持されている。もっとも年配者たちは彼の結婚などバックワードについて、あれこれと言い支持する人は少ないようだ。 
しかし、数々の問題のあるアメリカの駐留に対しての反米集会は(暑い中にもかかわらず)政党や宗派を問わず多数の市民らが参加したというのに国民の思いが反映されていると確信した。なにしろ自宅で居ながらにして3日間も彼らの集会を聞いていたから、集会内容には納得が出来たわ。

福島原発の事故は原子力発電史上、最悪の事故として知られるチェルノブイリ原発事故の規模と並んだ。
予測されていたこととは言え、福島原発近くに暮らす(暮らしていた)方々の心中を思うと、単に気の毒という言葉では済まない。
福島原発1号機爆発から丸1ヶ月もたって、ようやく政府は「広い範囲で人の健康や環境に影響を及ぼす大量の放射性物質が放出されているとして、国際的な基準に基づく事故の評価を、最悪の「レベル7」に引き上げることを決めたと。原発近くに住む方々が激怒されるのも当然だ。
「ただちに健康への影響は出ない」「ただちに出ない」「ただちに出ない」といい続け、それはそれで日本語としては正しいのだろうが、この1ヶ月間は何だったというのか…。オバハンですら政府(原子力保安院)には怒りを隠せないでいる。毎週送られてくる週刊誌文春、新聞やネットでは読めない政府や原発関連の記事が満載されているから重宝しながらも、先月末からは無力感だ。

友人が3日前に、「浜岡原発2号機は東海地震に耐えられない」という記事読みましたか?と、物凄く怖いメールを送って来てくれた。これは福島原発だけではなく、日本人全体が知っておくべきことだと思うが。
日本にある火山が活動し、大きな余震というものが続いている今日この頃、日本近辺の地殻がどうなっているのかと案ぜられる。中部地方に近い関西圏に家のあるオバハン、東海地震がいつ来てもおかしくない中で、浜岡原発の設計に携わったという方の告発をどう受け止めるか。 
http://www.mynewsjapan.com/reports/249

11日震災直後からの原発をめぐる報道… そして水素爆発を起こした後の対処などなどについてニュースを眺め読むたびに、日本を離れて遠くに暮らす身でありながら、日増しに無気力になってしまう。もう原発関係のことを書くのは止めようと思ったこの数日だ。

国際原子力機関(IAEA)と原子力安全委員会の見解が分かれ、「安全の判断基準」が違うのからはじまり、昨今では被ばく量の安全基準値を変えるって読めば……もう何をか言わんや。
2号機は圧力容器が溶融しているだの、汚染された高濃度の放射線は減ったとか、汚染液が海上へ流れ出すのは減った・止まったのと読んでも最終的には原発事故が終息しない限り放射線の累積量は増え続けていくだけだ。まったく、こうなれば人体に害がないことを心から祈るだけの心境になってしまった。
オバハンがブログでわいわい書いたところで、な~~にも状況が好転するわけでもない。無気力になる所以だ。

チェルノブイリ原発事故が起きた直後から5年間、放射能汚染除去作業の責任者を務め人の言葉。「経新聞の電話インタビューに対し、「福島第1原発事故に必要なのはチェルノブイリ原発を覆った石棺ではなく、東京電力から独立した技術者の特別チームだ」と。
「東電の情報が不正確で不足しているからだ。(企業というものは)会社の利益を優先して行動するので作業から外す必要がある。幅広い知識を持つ経験豊富な技術者を日本中から集めて特別チームを編成し、作業に当たらせるべきだ」等など。

被災された方々には大変申し訳ないが、安全な場所に居ながら疲れ無気力になっている自分自身が情けない。被災された方々の顔が日増しにくすんで来たのをTVで見ながら、あぁ…お風呂に入れていないから大変なんだなぁ…と。

昨夜というか今朝というか…時雨に見舞われ、しっとりしたやさしい空気の4月を迎えた。10日以上も前から外気温は毎日32℃、33℃となっており、今月末には40℃にもなるだろう。ここ数年以上、10年近くも前から春が確実に早くなっている。とは言え真夏にはほんの少しだが曇が多くて、昔に比べればマシな「暑さ」なのでエアコンがなくても過ごせる。30年以上も前なら47℃にもなった気温が、せいぜい44℃だもの(昔は47℃でもエアコンを使っていなかった。というか持っていなかった)

「福島原発では事故の対応を巡り、官邸と東電や原子力安全・保安院の『相互不信』が高まり、それが因で混乱につながった」との報道に。  オバハンたち国民はTVや新聞、ネット、はては毎週の週刊誌までを丹念に見て「対応」等を見聞きするだけだが、確かに酷いな。 世界から笑われようがバカにされようが、それは良いが(良くはないが)「事故対応・対策・対処」だけはシッカリしてほしい。と言っても……原子力村の根っ子は(利益優先は命より重かったようで)一つらしいから、糊塗できるものなら糊塗したかったのだろう。今回の事故に関しては今さら何ともならんのかも。

政府は今回の原発事故で、原発に関する安全行政を根本的に見直しすと。問題は原子力安全・保安院だわ。なんね、あそこの対応は…
我々は豊かな生活を求め、それに慣れ、ある意味では心身ともに脆弱になってしまったのかも… しかし、今ここで原発については根本的に見直すべき時が来ているのだと思う。原発のもたらす便利さに魂を売り渡すことなく、国民全体が今後は多少の不便さをも受け止めるつもりでいなければ。 
原発を推進することで利益を得てきた政府要人や官僚、電力会社、企業や個人も含めて。また、今になってもなお原発擁護の姿勢を崩さない御用学者を初め、原子力安全・保安院、おまけに一部メディアのお抱え記者等などの黒い癒着とも言えるもの。それらを総てスッキリさせねば、国民自体の覚悟も決まらないし惑わされたままで、原発やそれにまつわる「汚泥」は見えて来ないのではないか。
そもそも原子力安全保安院なるもの…は、原子力施設の設置許可や保安検査などの安全規制が主な業務といいながら、「それがなされていない」とは一部でも大昔から言われていたようだ。多くの「まともな学者」の、数々の提言を退けて来た結果が今回の原発事故だもの。

しかし、それにしても高濃度の放射能に汚染された大量の水何万トンをどう処理するのかね? 遠くの海洋へ捨てるわけにも行かないだろうに。 廃炉に持ち込むにしても専門家は、「すべてを終わらせるには数十年がかりの作業になる」と言うではないの。チェルノブイリと同じように石棺で閉じ込めるにしても、耐用年数が僅か30年ではなぁ… それに石棺のような蓋いを作るにしても莫大な金額(1基2000億円くらいか??)がかかるとか。

日本の国民の多くは気づいていないか、考えたこともないだろうが(世界的な基準から見れば)日本国民の生活は物凄く豊かだ。季節に関係なく様々な食品が店頭に並び、蛇口をひねれば普通に水が出、ガスにも電気にも24時間不自由することなく、国民皆平等に9年間の義務教育が受けられる。餓死者もほぼゼロに近い、こんな豊かな国が世界約200ヶ国の中に幾つあることか…  オバハンが30数年も暮らしているパキスタンの近隣国を見回しても、それは言える。ネパールの首都では停電が毎日18時間、アフガンでもパキスタンの首都でも日に数回数時間の停電、田舎へ行けば1日12時間の停電はざらだ。おまけに2日に2時間だけの給水。真夏になれば水は貴重品そのものだから、風呂へ入る習慣などオバハンには皆無だ。せいぜい水に濡れて出てくるだけの1分間シャワーで済ませるのが当たり前の暮らしだ。 
日本人の生活が、そこまで行くことはないにせよ、 いま被災して避難所で暮らしている方々は途上国並みの過酷な暮らしと、原発周辺住民は不安を抱えておられることだろう。1日も早く安心できる日が来て欲しいものだ。

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