2010年02月

オランダの連立政権がアフガン派兵の延長をめぐって対立、ついには崩壊したニュースを過日より見て感心している。6月の総選挙で派兵延長をするのか、どうか今の段階では未定にせよ、アフガンへ派兵をしている欧米諸国に与えたインパクトは大きいと思う。いやぁ~連立解消に踏み切った労働党の勇気を讃えたい、大したものだ!

このところアフガン関連の報道としては、ヘルマンド州での多国籍軍やNATO軍、アフガン国軍による今までにない大がかりなタリバーン掃討作戦が伝えられている。そしてタリバーン掃討に成果を上げているような報道も見受けられる。 「タリバーンは主要拠点である同州マルジャ地区などで抵抗を続けていると述べる一方、作戦ではすでに幹部の拘束など一定の成果が挙がり、タリバーン側に打撃を与えていることを強調した」と。

ところがヘルマンド県なるところは九州と四国を合わせたくらいの大きさであり、その隣のニムローズ県やファラー県もそれぞれが四国ほどの大きさだ(3県で北海道2つ分くらいかな?)。 その大きな地域に暮らす住民は3県合わせて百数十万人前後であろうか。 今回、タリバーン掃討作戦の中心になっているマルジャなる場所は地図にも載らないような小さな村だ。早い話がマルジャにしても、中心の町ラシュカル・ガーだったかにしても、その周辺何十kmだかは土漠が広がるだけの人口密度希薄な土地柄だ。人影など捜しようがないくらい遠く離れた個所に数軒から数十軒ほどの村が点としてポツポツあるだけの地域だ。
そこで、何万人ものISAFやNATO軍、国軍がどんな掃討作戦を展開しているのか?? 政府やアメリカの垂れ流す情報だけを読んでいるのと、現地の地勢を勘案して想像をめぐらせれば、オバハンには報道に対する疑問しか浮かばない。

アメリカ様は口を開けば、「アフガンをテロリストの聖域にせず、米同時多発テロのような攻撃の再発を許さないという、非常に重要な理由があることを忘れてはいけない」と訴えるが、オランダの労働党のように連立を解消してまで派兵反対をする心意気。このアフガンに対する不毛な内政干渉を続ける意味があるのか、ないのかを、我々も考える必要ありと思うが。

陽射しが春めいて降雨もないことから土砂崩れの心配も無いと、1月下旬は久々に大地震の被災地へ行っていた。まだ明けやらぬ朝に事務所を出て、明るくなった頃に道端の茶店で白い息を吐きながらパキスタン式の朝ごはんを食べるのも災害時と変わらなければ、その後、帰宅までの10数時間、食事なしで居るのも被災地通いをしていた4年前と、なんら変わることはない。
事務所のスタッフは2ヶ月に1回くらいは村のセンターへ通うが、この時期は村への山道を上がれないので、オバハンたちはバラコットまでだけにした。

しかし、この1年ばかりで激震被災地のバラコットにも観光客用のホテルが幾つか再建され営業を始めていたし、全壊滅した丘の上の家々もコンクリートやブロックで再建されていた。レッドゾーンである地域での建設は政府によって禁止をされていたのだが、代替地のニューバラコット市には道路が建設されたのみで、何のインフラも出来ていないのだから移り住む気にはなれないという。さもありなん…

被災地の家族たちはそれぞれに元気だった。額に裂傷を負っていたナシマも14歳になり、オバハンより背が高くなっていた。相変わらず家は僅かなトタンを葺いただけでドアもない掘っ立て小屋だし、この寒さの中で働き手も無く、どう暮らしているのかと思いながらも、聞いてしまえば要支援に決まっていると想い、怖くて聞きそびれてしまった……。
テント村に来ていた12~14歳の美少女たちは結婚したり、近々する予定の者ばかりだ。3月は結婚式の季節だ、是非、出席してくれと医療テントを張らせて貰っていた家の家族たちにも懇願されたが、3月は忙しい…(その中の1人が、きょうはイスラマバードまで来たからと、事務所へ寄ってくれた)。 しかし、彼女たちの花嫁姿も目にしたいものだ、どんなにきれいだろうか。

先週の半ば頃からメールの送受信が出来ない。早々の修復をサーバーへ掛け合っても担当者がいないとかナントカ、埒があかない。ようやく昨日、判明したのは…サーバーが倒産だと! サーバーへは5年分だかの前払いをしてあるというのに…と立腹していたら嫁ハンが、「お姑さん、私も国連クラブへのクラブ費を1年分前払いしていましたが、担当者が持ち逃げをしたとかで前払いした分を返して貰っていません」と。国連の職員ともあろう中にも、とんでもないヤツが居るのが判明した。
基本的に当地では前払いをしたものが返って来たためしは、過去30数年間一度も無い。 なにはともあれ、本日は新しいサーバーを探して契約しなくっちゃ。そんなわけでメールをお送り下さっている方々には、ご迷惑をお掛けいたしております。

2月初めに春一番が吹き、今未明の降雨は激しい春雷と共に春三番というべきか。ベランダでは三色スミレの花が先般から咲き、スイトピーも花咲く一歩手前まで来た。平野部では畑に種を蒔く、この時期の雨は貴重だ。1年の収穫の見通しもある程度は立ったということで、これも大統領さまの雨乞いのお陰であろう。
しかし、その大統領さまと言えば… 一昨昨日の夜のミーティング(キアニ陸軍参謀長、最高裁判所長官、首相、野党のトップであるシャリフ元首相などなど)で合意決定した人事などの事項を、翌朝またもや気まぐれでひっくり返されたそうで、昨日の新聞では「Oh no you don't, Mr President」なる全面通しの大見出しが踊っていた。

大統領さまの「ご反乱」につき、パキスタン最高裁は大統領が指名した最高裁と、ラホールの高裁の判事人事について、憲法に規定された手順を踏まなかったとして凍結することを決め、首相やシャリフ元首相なども最高裁の判断に従うらしい。
ご反乱の夜には、これで現政権の命運も尽きたと一時暗雲が立ちこめ「非常事態宣言が出るかも」とも思わせたが、なんとか非常事態は免れたようだ。それにしても…我が大統領さまは…どうしてこうも勝ち目のない「ケンカ」をなされるのか? 

2月初め、NWA(日パ・ウエルフェアー・アソシエーション)から奨学金を出していた医学生が「無事卒業出来、国家試験にも通りました」と、医師免状を貰ったその足で挨拶に来た。 4月からは小児科医として半年間の研修の後、内科の研修に入る予定と。研修医になれば手当てが出るので、それまでの後2~3ヶ月は奨学金を頂きたいという挨拶だった。

ギルギットからペシャワールの医学部に入った当初は超生意気な学生で、自分は選ばれた優秀な者であるから奨学金の受け取りも当然のような態度だった。しかし6年間の勉学で学んだことは医学知識だけではなかったようで、真っ当な挨拶や、感謝の念も表せる大人になったと思う。

医師免状を見たときには、オバハンの方も「おめでとう~」と言いながら、嬉しくて涙がこぼれそうになった。奨学金の出し甲斐を感じる瞬間だ。こうして挨拶に来てくれると、人を育てるのには「意義」があると単純なオバハンは感動してしまう。

皆さま、大変ご無沙汰をしております~~~ 相変わらず元気なだけが取りえのオバハンです。
が、諸般の事情でブログを休んでおります。諸般というよりも… 分けのわからない(いや、分かってはいるのだが)身辺調査を10月頃からされているようで、ここは静かに暮らすのが無難かもと考えているだけで、いたって元気でおりますので、ご心配下さっている方々、ご安心下さい。

ようやく週末から4日間も続いた氷雨が上がった。2月に入って直ぐに春一番とでも言いたい雨と雷の後、初夏を思わせる陽射しと気温に安心をしてストーブなどを取り払ったら、4日間もの氷雨で昼間も気温が12℃。イスラマバードにしては冬に戻った。ストーブの撤収はチト早かったようだ。
しかし春一番の雨の後からは、首都(自宅)から15分も走った郊外では麦がスクスク成長し出して早や30cm近い。自宅の南向きのベランダではスイトピーの鉢植えが1mにも伸びて蕾もつけ出した。街路でも2月に入って直ぐからレンギョウの黄色い花が目を楽しませてくれている。

パキスタンでもアフガンでも4日間は平野部に雨を降らせ、山岳部などは大雪だったと。アフガンでは首都の北90kmくらいにあるサラン峠で雪崩が頻発、道路上の車輌を襲い200人近い犠牲者だと伝えている。 今冬は雨(雪)がまったくなく、旱魃の恐れが両国にあるが、降る時にはまとめて降って災害になるのも世界的な傾向なのか。
雨ナシの影響で、先月からは我が家でも3日間に2時間くらいの給水しかなかったようで、それを知らずに滅多にしない洗濯をして顰蹙をかった(家で洗濯をするよりも、洗濯屋に出す方が効率的と)  ラワルピンディなどでは15日間も給水が無く、シャワーどころか飲み水にも事欠いた地区があったと聞く。ザルダリ大統領が率先して雨乞いの礼拝をしたから、かえって悪くなったのだと酷評する人も多い。
(この程度の日常を書いたブログは、身辺調査に何ほどの影響も及ぼすまい…)

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