2009年05月

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4月のギルギット行きは僅か5日間にハプニングありあり。毎日、気の休まることがないスリルとイライラのパキスタンだった。 が、今月のギルギット(母子センター行き)も似たようなハプニングで逃げ帰って来た。
4月に出来なかった修了式と入学式。 履歴書に修了証書を付けて就職活動をするという女性もいて、治安が回復したら1日も早い修了式を…と言うので1ヶ月遅れで挙行。 式開始の「ビスミッラー …」(宣誓の言葉)が終り、開会の言葉を副校長が述べて…、校長が挨拶をしようと思ったら遠いところで銃撃音。何人かが耳をそばだてる。
そして全員の耳に聞こえた非常サイレン。「ウワァ~~アァ~~ン」と高く低く一鳴り。
教師たちの持つ携帯電話が一斉に鳴りだし、あちこちから緊急の電話。校長は挨拶の代わりに、「ただいま緊急の電話が入り大学で銃撃戦。修了式は中止にするようにとの連絡です」と。

4月も宿泊所の近くで爆破と銃撃。オバハンは寝入ったばかりで知らなかったが、同行者たちは爆破音を聞き、要人1名と警備員・運転手の3名が死亡。市内は緊迫、道路封鎖。たちまち学校も役所も閉鎖、外出禁止令。
生徒の来ないセンターに居ても仕方がないし、しばらく忘れていた蚊と蚤とダニの攻撃に毎晩魘されもしていたので、さっさとイスラマバードへ帰って来た。
しかし治安の不安定なこと…  弾や落石に「当たるまでは怖くない!」と、常日頃から笑って済ませようとしているが、弾にかすりそうな頻度が高まっているような気がする。 

修了式では成績優秀な生徒にトロフィーを授与、記念写真なども予定していたが気の毒にそれどころではなかった。 しかし、ホールの飾り棚にトロフィーを飾っておいたら、「これが貰えるの?」とワイワイ・ガヤガヤの女生徒たち。思った以上の関心の高さにオバハンは驚いた!

ギルギットの治安回復(今回は)想ったよりも早くて、月曜日にはセンターも再開。修了証書の授与がセンター内部で滞りなく終わった。修了生の中から中級コースへ進学したのは8人、中には村へ帰って縫製の指導者になる予定の者もいて、何人かの女性は着実に将来を見据えている。

まったく律儀に定期的なことで…  イスラマバードのマリオット・ホテルの大爆破・延焼を皮切りに、ほぼ2ヶ月おきに起こる大規模なテロ。 今回もインド国境に近い大都市ラホール市内で武装集団による襲撃と、自動車を使った自爆テロ。爆発で警察の大きな建物が倒壊した。 死亡者は30人以上、負傷者は250人以上というが、本当の詳細は丸一日たっても不明だ。

TVの報道では治安当局が容疑者を3人逮捕と言うが… どう見てもタリバーンという雰囲気ではないな… もっとも、「タリバーンでゴザイ!」という格好、雰囲気ではたちまち「怪しい」と道中で捕まってしまうから、タリバーンに見えなくて当然か。 でも… 若いとはいえ充分な判断力を備えた大人に見えるから、原理主義指導者たちに煽られ、単純に「聖戦意識」を持って実行に及んだのでもあるまいと思えるのだが。
当地のTV報道で複数の目撃者が言うには「警察の建物に武装集団が手りゅう弾を投げつけ銃を発砲した後、爆弾を積んだ車がフェンスを突き破って建物に激突し、大規模な爆発が発生した」と。手榴弾はロシア製であり、推定約100キロの爆発物を車に積んでいたと発表になっている。



同じ民族、同じイスラーム教徒同士が国内で戦うのは愚の骨頂だと国民の多くが思っており、軍隊側の士気も上がらなかったという。しかし武装勢力側が送りつけたという、人道にもとる軍を刺激するCDに軍人たちは発奮。 北西辺境州スワット地域のイスラーム武装勢力は、気合の入ったパキスタン軍の掃討作戦の前に苦戦を続けている。で、三度目の和平協定への復帰を求める意向だといい、パキスタン政府がスワット地域でイスラーム法の施行を認めた場合、武装解除に応じるというが、住民を無視した自分勝手でムシの良い言い草だ。スワット地域の一般住民の多くには迷惑なイスラーム武装勢力による侵攻だ。 しかし「イスラーム」を掲げられると、住民(国民)としては、その前にはひれ伏すしかないのだろう。
オバハンは三度目の和平協定が結ばれることはあるまいと想っているが、政府はパキスタン憲法に違反しない範囲でイスラーム法の施行を認める方針だという。 1つの国に2通りの法律、オバハンは絶対に混乱すると想うがなぁ…

ムシャラフ元大統領が、延々と居座り続けた陸軍参謀総長の公舎から一昨日、ついに退去したと。参謀総長を辞任して一年半にもなり、この間には「何時までも居座るな!恥を知れ」とばかり退去デモをする退役将軍たちが新聞を賑わしたり、「軍の最高会議に顔を出して頂く必要はない」と現参謀長官からも厳しく言われたと、これまた新聞を賑わしながらもムシャラフは居座り、何時までも気分だけでも参謀総長であり続けたかったようだ。
公舎の方が命を狙われ難いなど等、数々の理由があったに違いないが、首都の中心から僅か10分の郊外、特等地に大農場と豪邸を持っていながら移転しなかったその心は何なのか?



4月、北方地域のギルギットを陸路で往復した時に感じたカラコルム・ハイウエー(一部、北西辺境州の)タリバーン化。 案じたように、昨日はスワット地域と背中合わせのベシャムで工事中の中国人を警護して警察官が誘拐された。カラコルム・ハイウエーの拡張工事などに携わる中国人たちのODAによるプロジェクトだが、今までとは異なり工事区間には何人もの警察官が銃をかまえて警護。細い谷川から水を汲む車にも運転手を警護する警察官が同行するなど、その異常とも思える警備の厚さには驚いた。
カラコルム・ハイウエー上では、従来から強盗は出ても誘拐はなかっただけに、タリバーン化の影響が出だしたと見るべきだろう。ベシャムと山(丘)を隔てただけのスワット(の中心部)では、パキスタン軍がイスラーム武装グループを掃討するべく尽力中だが… アフガンと同じように広く緩やかな山岳地域、東西南北、武装グループはどちらへも逃走は出来る。

5月も下旬になろうとしているが、月初めには「パキスタン空爆」の大見出しを新聞やネットで見たという何人もからお見舞いを頂いた。
当地(パキスタン)に常駐していない報道機関の書く記事の内容は、現地事情を充分に把握しているとも思えず、読むたびに違和感を持つ。その点、各新聞社に記事を配信している通信社から記事を買っている地方紙(例:京都新聞など)の方が、駐在員が当地に居ない分を「信頼できる現地取材記事」に頼っているから読んでいても納得ができる。
特に当地に駐在していないS紙のパキスタンに関する記事は、ワシントン発も多くてアメリカの言い分のみが報道される傾向にある。また、インドに駐在してインドからの抜粋記事を中心に報道するM紙、前述のS紙は反パキスタン的な記事になる傾向にある。読む側が、こうした新聞社(記者)のポジションを把握していないと、現地の実状というものは読み切れない。

北西辺境州におけるイスラーム武装グループに対する掃討作戦は、開始から3週間になった。連日のようにTVで流れる死者は100人を超える単位。パキスタン軍が本気になれば武装勢力を叩くことは難しくない。しかし国民感情を勘案すると、本気になれないところが厳しい。しかし、今回の掃討作戦には「力」が入っているのも事実だ。 アメリカからの圧力のほどが分かるというものだ。

武装勢力掃討地区からの避難民が多いのは確かだが、政府発表の160万人はないと思うが… いずれにせよ大変な事柄だ。アメリカは避難民に対して約1億ドル(100億円)からの人道支援を実施すると発表し、食糧援助などに充てるという。有難い話には違いないが、素直に喜べないところが悲しい。

パキスタン国内でも政府閣僚は給料の1か月分を、最末端の兵士たちは1日分の給料を避難民への支援として出すなど、役人たちは応分の支援金を払うようだ。当然、国民に対しても政府は協力を呼びかけている。が、ザルダリ大統領サマの陣頭指揮では気勢が殺がれること甚だしいとは巷の話。

治安の悪化で日に日に駐在する外国人が少なくなり、観光客も皆無。ウチの嫁さんの友人たちも家族連れの米英人は早く(昨年晩秋)から帰国し、イタリア人、フランス人たちは「万が一の時には、ペルシャ湾に派遣されている自国の艦隊で脱出になるだろうと話している」とか言う。が、日本政府の海賊掃討船には万が一の時には乗せていただけるのかしら?? 当地の事情を勘案しているのか、いないのか、日本政府はな~~~んも言わないな。ま、何もないと思っているのだろう…

我が日パ旅行社も、たま~~にツアーの『お問い合わせ』があっても、ペシャワール方面やチトラル方面へは一年も前から手配をお断りしている。お客様が「事故の責任は問わない。自己責任でパキスタンへ行く」とおっしゃっても、現実にはそれで済むわけもなく、腰抜け・ヘタレの日パ旅行社としては周辺へ及ぼす影響を考え「お断り」をするしかない状態。 今年は報道関係者と登山客 以外にお客もなさそうで、ついにオバハンの事務所を一番奥まった端の小さな部屋(20平方m)へ移動することにした。しかし同じ建物の中にもかかわらず、なかなか引越しは完了せず、不便をかこった1ヶ月間だった。大体が荷物(資料)等が多すぎるのだ。

特に6000冊以上もある各種日本語の本などは、捨てようかどうしょうかと迷いながら結局は殆どをアチコチへ移動。中には読んでいない本もあって、午後になるとそれ等に読みふけってしまうので事務所は何時までたっても整理整頓が出来ない。ネットの配線も終らずLANのアンテナでは電波が充分に拾えずネットに接続する気にもなれない。座わって落ち着く場所もないので大概は庭で八升豆、銀杏、柿、杏、イチジクの苗を移動させたり庭の模様替えであれだ、これだと庭師泣かせの毎日。
とにかく、お客様が皆無でさしたる仕事も無いから、今朝から母子センターへ来ている。

4月の母子センター訪問は、文字通り「スリルとイライラのパキスタン」を満喫、転げるように逃げ帰った。が、その後は村に逃げ潜んでいるテロリストが逮捕されたのか??外出禁止令も解けたので、懲りずにノコノコやって来た。例年、4月は入学式と修了式を兼ねた式典をする予定だが、先の4月はそれどころではなかった。

イスラマバードでは酷暑の始まりだがギルギットでは若葉が濃くなり始め、バラの花が満開、サクランボがたわわに実って最高の季節だ。しばらくはギルギットで自分の24時間をノー天気に楽しむつもり。

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