2008年09月

マリオット・ホテルの全焼とその後を(噂も含め)、まだ機会あるごとに聞いている。当地でも、早々と新聞にも載らなくなったというのに、相変わらずしつこいオバハンだ。 聞いてどうなるものでもないと思いつつ…

ギルギットから帰って来た日にも聞いた事柄だが、さらに念をおして聞いてみると、大爆発・全焼の前日に米軍が30人ばかりホテルへ入ったという、あの話は若干ちがっていたな。 某所が確認した信頼出来る話では、トラック3~4台に200人の米兵が投宿(めったにない事柄) 現地の警備員を寄せ付けずに自分たちで荷物を運び込び、翌日は9人を残してチェックアウト。 マリオット・ホテルは350室前後だったと思うから、前夜は米兵で半分近くが埋まった勘定だ。

一部には、その米兵たちを狙ったテロではないか?という説もあったが、武装勢力がトラックに爆薬を満載して、首都まで運んで来るにしては手際が良すぎるので、やはりCIAやISIの謀略説の方が有力だ。マリオットのオーナーが「4ヵ月後にホテルを再会する」と、まったく慌てもせず強気の陰には、アメリカから莫大な補償金を受け取っているからだとか、充分にあり得る話が多くて興味がつきない。

パキスタンが米国の「対テロ同盟国」に名を連ねて7年近く、北西辺境州の部族地域でタリバーン(武装勢力)掃討を始めて1万4000人以上が命を落としていると言われている。この間、犠牲になった民間人は武装勢力よりも多いに違いない。前にも書いたが犠牲者の家族の多くは反米、反政府活動を開始する。テロ組織掃討で犠牲者が出れば出るほどパシュトーンの男は報復に走る。悪循環の極みだ。

アメリカは自国民に対して、イスラマバードやカラチなど大都市の主要ホテルでの滞在や、訪問を禁止したと伝えられている。ヨーロッパや日本政府も右に倣えとなるのだろう。 きょうの「お知らせ」には、爆発音を聞いたら伏せろ、普段から伏せる練習をしておけ等など、今までにはない具体的な事柄が書かれていた、たまらんな…

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朝晩の気温が急激に下がって来た、断食月もあと3日で終わりだ。
街中では断食明け新年(イード)に着る服や靴、アクセサリーや新年のカードを売る店が賑わっている(が、治安を懸念してか例年より人の出は少ない)。 ギルギットの母子センター縫製教室でも、晴れ着を縫う女性たちで大賑わいだった。着飾ること以外に楽しみが薄い女性たち故に、年に一度の賑わいも結構、結構。

当地は30日(日本では大晦日のようなもの)から3ヶ日は祝日、事務所でも長期休暇を取って実家へ帰る人が増え、閑散として来た。そろそろピン札でお年玉の用意もしなくっちゃ…などと、想いを馳せているオバハン。

きょうは日曜野外大バザールの日だ、どこの生鮮食料品店も30日から1週間は休みを取るだろう。きょうは大量買出し日だが、警備手薄なバザールの人ごみは怖い!ちょっと自分では行けないな…。

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根性ナシのオバハンの代わりにスタッフと運転手が買い物に行った。  何時も買い物に行くコックは長期休暇、買い物なれしていないスタッフの買って来た野菜に文句をつけたいが、行って頂いたことを感謝し、そこはぐっと我慢で飲み込んだ。ま、食べられればいいか…と。

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昨日は留守にしていた間の雑用を特急で片付け、きょうは早朝からマリオット・ホテルへ…
内務省や大統領府に近いマリオット・ホテル、何ヶ所かの検問は「内務省Dブロックへビザの更新に行く」と言ってくぐり抜け、マリオット・ホテルの並び、パキスタンTVの大通りで車を捨てて徒歩。マリオット・ホテルからビル3つ離れたパキスタンTVの被害は窓ガラスの破損のみ。ホテルへ近づくにつれ大通りの街路樹は引き千切られ、ホテル前では直径40~50cm近い大木が根こそぎ抜け、なぎ倒されている。マリオット・ホテルの隣のビルは窓ガラスがすべて破損、熱波で焼け焦げ状態。向かいの政府(バロチスターン州)ゲストハウスの窓も全壊、ベランダにはガラスの破片を払い叩くつもりなのか、ベッド・マットがズラリ。わが家はマリオットから2km弱、それでもガラスが割れた時に厚いカーテンを引き裂いているから、1km以内の惨状は押して知るべし。

厚かましく、ごく当たり前のような顔でホテルの近くまで入り込むと、かえって誰何する警官や兵士もなく、結局は堂々と敷地内へ入れた。 顔見知りの大男ドアマンや、セキュリティ・チェックのお姉さんの写真も犠牲者の中には含まれていた。爆風で飛び散った肉片の死臭が漂い、凄惨だ…  駐車場のオジサンに「生きていて良かったね!」と声を掛けると、右手のひらを額に当て腰を屈め、「ありがとうございます」と。
大爆発は正面玄関、そして火の手が上がったのは正面から見て右手、上階部の端と目撃者は言う。新聞ではガスパイプに引火とあるが、上階右端から火の手が上がったというのがチト解せないな…

ザルダリ大統領はマリオット全焼後、「これで国全体がテロと戦うことになる」と演説し、ニューヨークでの国連総会へ向かったと伝えられているが、演説を聴いたからと全国民が政府の対テロ策に協力するとは思えない。国連総会出席後、ザルダリ大統領はアメリカで副大統領候補のナントカというオバサンとにこやかに会談?をしていたが、単なる候補者と気軽に会って、なんとも安っぽい大統領だわ… 
 
今後、パキスタン政府は対イスラム武装勢力掃討のためにアメリカと手を結ぶのだろう。というよりも、アメリカの言うことを聞く男、ザルダリを大統領席に(アメリカが)座らせたのだから、これからのパキスタンはアメリカの思うがままか… 
しかしイスラーム原理主義者、過激派を押さえつけるのは至難だ。主義主張を簡単に変えるなら原理主義者とはならないだろうし…

* みなさまメール等々を頂き、有難う存じます。ご心配をおかけしました。


いやいや、まいった…  今回は超過密スケジュールの1週間なので、パソコンも持たずに陸路でギルギットヘ向かっていた。イスラマバードを出て14時間半、ハイウエーとは名ばかりの山岳道路に疲れが出て来たところへ、緊急電話。事務所のスタッフが手渡す携帯電話に出ると…
「マリオット・ホテルで大爆発、全焼。  家では大きな窓ガラスが割れ、小さなガラス窓は爆風で掛け金が吹っ飛び全部、開いてしまいました。 でも家の者(スタッフも)全員無事です。心配しないで下さい~」
心配するなと言うから心配はしないが… ホテルが全焼? 全焼?? 「ホテル全焼」の意味がまったく分からない。 どうしたら全焼になるのか?????と想像をめぐらせながら翌日夜、ようやくTV画面に出くわした。それから何度も何度も繰り返し画面を見たが、なんとも不思議な爆発であり、燃え方だ。
政府発表は死者数十人というが、TV画面で見た、あの燃え方で数十名?? 階下から燃え始めたとも思えないし、大体が普段から被害を10分の1に発表する政府だから「数」については信用は出来ないな…と、何でも疑ってかかるオバハン。 

帰宅してから情報通に聞きまくった結果、実質は200~300人の死者ではないかと。ウチのスタッフの兄弟もマリオットで働いており、大爆発の直後に1階のメンテナンス棟から外へ転がり逃げたという。そして、「あの火の手の中では上階部にいた人間は逃げられなかった」筈だと。
さらに奇怪なのは(情報通の話によれば)、爆発の前日に米軍30人くらいが厳重な警備の中で、ホテル内の現地警備員を一切寄せ付けず「米軍特権」でホテル内へ何らかの機材を持ち込んだという。ホテルは3,4,5階部分が派手に燃えていた、何らかの化学物質が持ち込まれ、それが燃焼した可能性は避けられない。

奇怪なことは、まだある。TV画面を見ながらオバハンも考えていたが、首都へのトラック乗り入れは深夜のみだ。誰があの時間帯にトラックの通行を許可したのか? 首都の検問は厳しい、十数ヶ所の検問をトラックはどうしてくぐり抜けたのか? トラックがホテル前の検問所で小爆発を起こし、それから大爆発に至って、大火災。うまく出来すぎていると思うのだ。
タリバーンは犯行を否定している。本物のタリバーンなら聖なる断食月にこんな犯行はしまい。 聖なる月にメッカ襲撃やイラクへ侵攻したアメリカのやりそうなことではないか?  アメリカの情報部、パキスタン情報部のオペレーションである可能性が捨てられない所以だ。当地の新聞が「パキスタンの911」と騒ぐのも分かる。

そして昨日はイスラマバード空港で自爆攻撃を未遂で取り押さえたと。報道では「自爆の情報、自爆犯による攻撃を予告したが、指定の時間に攻撃は起きなかった」というが、空港は夕方まで閉鎖。駐車場へ車は一切入れないし、ターミナルへは空港スタッフのみの出入りで、日本へ帰国する人たち10人を抱えてギリギリまで大汗をかいた。

アチコチに爆破予告、マリオット・ホテルへの攻撃等々で国連クラブやアメリカン・スクールも閉鎖。911直後の混乱時を思い出している。  しかし、これは先般から何度か書いているように治安悪化、混乱への序章にしかすぎない。アメリカはパキスタン侵攻の機会を着々と作っているのだろう。

大統領選挙から10日、ブット元首相の夫ザルダリが大統領になった実感を人々も持ち始めた。
わが家には、夕方のイフタール(1日の断食が終る時間の食事)には、連日のように10~20人もの招待客が見えている。今のところ、ザルダリが大統領になったことを喜んでいる人には会ったことはない。そして、誰もがオカシイと感じている。

ブットが首相を務めた時代に、夫のザルダリが中心になって関わった疑獄は幾つもある。その中のひとつは○○プロジェクトと言い、ムシャラフによって訴追、8年間だったかも獄に繋がれ封鎖されていた。それが大統領になったとたん、○○プロジェクトとして復活した。
お客たちの話は、「国のトップが自ら、何をしても良いという手本を国民に示しているのだ。やり得ということだ!」 「何でもあり、何をしても良い」 「この国はどうなるのか?」という話でもちきりだ…   
中にはブットの首相時代に広告宣伝の打ち合わせに自宅へ行ったら、「ごく普通の奥さんをしていて驚いた」と言う者もいて、なかなか興味深い。また、パキスタンから逃げて家族でドバイ暮しをしていた頃は、ザルダリと一緒に町中で楽しそうにアイスクリームを食べていて写真に撮られ雑誌に載っていたと言う者、2人は離婚寸前だったがブットが暗殺されたことで危機は回避されただけではなく、とてつもない地位を掴み取った…という者、ザルダリに関する話題は尽きない。
しかし、最後は必ず「どうなるのか?」で締めくくられる。 オバハンもつい先日、ザルダリ大統領のことは書くまい…と決心したにもかかわらず書いている…  パキスタンのことを憂い嘆いても仕方がない、所詮オバハンは外国人だ。パキスタンに置いて頂いていることを感謝しつつ、オバハンはオバハンで別の世界(趣味)を持とう… と言いつつも、ついつい新聞やTVのニュースを見て案じている。


アフガンとの国境沿い(パキスタン側)部族地域には、アフガンからアルカイダやイスラム過激派タリバーンが流れ込んでいるとされ、米軍は春から危機感を募らせている。とうとう先月末からは米軍特殊部隊が(パキスタン政府の許可も得ず)掃討作戦を実施し始めた。アメリカは春先だったからか?パキスタン政府の事前承認は必要としないと言って来たことを実行に移したようだ。
とにかくTVニュースで見る国境沿い(バジョールなど)のパキスタン軍による戦闘は激しい。一般市民が暮らせるような状況ではない… ムシャラフがアメリカの強圧に屈して部族地帯でオペレーションを実施して以来、数年。家を失くした人が100万人と言うのは大げさにしても、充分にあり得る話だ。

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