2008年04月

ギルギットから帰って来た。今回は往復共にフライトが出来、片道16時間もの陸路を走らなくても良かったのでラクチンだった。
ただし18日にフライト出来、空港から母子センター建設現場へ直接行ったら…  オバハンが指示していたようにはなっていなくて、その上、工事も完了とは言えず、「やっぱりなぁ~」とガックリ。
何時の場合も、そうなのだが、当地の人はメモを取らない。だから半年も前に指示したことなど、誰も覚えていない。結局、19日~21日までの3日間は自分自身が、朝6時過ぎから夜8時までご飯も食べずに母子センター建設現場で作業監督。家具の運びいれ(体重が3kg減った)。

夜は砂だらけの足を洗ってバタリとベッドへ倒れこむだけの生活。サドマゾのオバハンとしては全身がギシギシ鳴るような痛みで寝られず、3日間はうなされ充実。久々に全力投球で働いた気がした。

仕事の段取りや指示を出し、建設現場を取り仕切る大旦那様(校長先生のご主人)、中間で現場監督をしながら作業もする人、毎日変わる(いろいろな作業の)従事者たちからは、「自分の一生でこんなに働いたのは初めてだ」と泣きが入った。
オバハン自身は、1日数時間しか来ない電気に泣かされた…。作業員がようやく揃ったと思ったら電気が無くて作業が出来ず。電気が来る頃には、待ちくたびれた作業員が帰ってしまうという具合……

しかし、24日の開設式に間に合わせるべく、日夜をついで作業。1つの作業については段取りと作業員を10回は催促。ついには、「明日出来上がります。明日やります。インシャラー(神の御心があれば出来るでしょう)」という大旦那や現場監督に向かって、「1回でも良いから、きょうやります。きょう出来ますと言ってみろ!」とブチ切れ。久々にオバハンらしく大暴れをし、奮闘したな。

開所式は大臣2名の出席で、式典中は電気が切れないようにとの配慮もあり、予定通りに無事終わった。式典中には、今までの小さなセンターで学んでいた学生55人に卒業証書を渡すというのもあったが、成績優秀者3名の代表のみに証書を授与。

28日からは新しいセンターの運営と、残りの52人への卒業証書授与に再びギルギットへ。
砂塵の舞う中ではラップトップを開く気にもなれず、机の上の砂をなぞっては考え込んでしまった。何ぞ、良い砂防対策はないものか…

午後からパトカーが走り廻り、なんだか騒がしいと思ったら…  欧米を初め、世界中で物議を醸している聖火リレー準備チームのエスコートなどであったらしい。
20年以上も前に中国の援助によって作られたスポーツ・コンプレックスはオバハン宅から2km足らず。その中のメーン・スタディアムへは派手なユニホームの鼓笛隊、吹奏楽隊、馬車によってVIPの入場など。
大統領、首相、中国大使の入場と形だけは整っていたが、本隊の聖火リレー隊は1人あたり100mを走る(歩く)ことで実施された。
中国とは友好的なパキスタン、なんとしても不穏な事故は避けたかったのは解る。しかし、あれが(本来的な意味の、平和なスポーツの祭典、オリンピックのための)聖火リレーと言えるのかどうか、大きな疑問。

過日、中国を訪問したムシャラフ大統領は、「首都イスラマバードでの聖火リレーが平穏に行われることを保障する」と述べていたが、最近では見るたびに精彩を欠いている。
ムシャラフはアメリカ様のご威光(ご意向)によって、国内事情安定のために後1年くらいは現職に留まれるのだそうだ。しかし、数々の権力を剥奪され、飾り物の大統領となって常に肩が落ちているし、表情も明るいとは言えない。

イスラマバードでは3月の半ばからの僅か2週間だけが、そもそもの季節、初夏らしい30℃を超える日が続いていた。ところが今月に入ってからはズッと天候不順で、雨模様の毎日。たまに抜けるような青空が戻り、「夏が来た!」と思っても、翌日は雨。春先に挿した木には有難い雨だが、未だに毛布を被っている。毛布だけでは寒くて薄手のベッドカバーもかけたままだ。例年なら4月10日には暑くて客室などではクーラーを廻し初めているから、信じられない今年の天候だ。
昨日も雷と共に雹とミゾレ混じりの雨が止んだかと思えばぶり返し、波状攻撃。吹き溜まりには白く積もった雹がまだ融けずに残っている。ミゾレと雹の落ちる時間が長かったせいで、庭に落ちた木の葉は地面も見えないくらい。食べられるばかりに色づいていた琵琶の実も全滅。またまた観葉植物、八升豆ともにダメになりそうだ。


パキスタンは新しい政権になり、過激派との話し合い中は休戦中?なのか、最近は自爆テロも減ったように思える。国内も落ち着いて来ているのかと思っていたが、なかなか、そうは上手くは行かないようだ。
国会とは別、各州政府に残存の旧与党政治家たちは報復を受け始めていると聞く。
「目には目を。歯に歯を」というわけか…。もっとも、この「目には目を」も、やられた以上の報復をしてはいけないという戒めであるから、目を取られたら目を取り返せという意味ではない。

庶民生活に密接している電気事情は已然として悪いようで、各地で政府への激しい抗議行動が絶えない。 たまたまオバハンの住む地域では(エライ人が住んでいるらしく)停電がなくなっていたから、もう停電政策は終ったものと思っていた。
電気が安定供給されていない地方では工場の稼働率は下がるし、失業者も増える。収入がないので強盗が頻々という状態がますます増えているという悪循環だ。

昨年からの一連の騒ぎで、当然オバハンの事務所、日・パ旅行社も閑古鳥が鳴いている。ホテルやゲストハウス、レンタカー会社、旅行会社などでも昨年の早い段階から人員整理に励んでいる。パキスタン地震から2年半、支給される保証金なども終ったこの時期、職を求める人が倍増という。
こういう不景気な時期にこそ、良い人材も集まるのだが。

イスラマバードでは3月の半ばからは30℃を超える気温。真夏は直ぐそこまで来ていたのに、4月に入ってから10日間もの菜種梅雨。気温が一気に下がって薄ら寒い。パキスタン北方地域への道路(カラコルム・ハイウエー)だけではなく、降り続く雨でアフガンからパキスタンへの道路(アジア・ハイウエー)も一部が壊れて閉鎖。

カーブルでもイスラマバードでも、北方地域のギルギットでも「春になったら」と予定していた活動予定は次々に狂い、毎日の生活リズムまでが大幅に狂ってしまった。
春になったら(アフガンでは)その①植林。 その②縫製教室(識字と英会話のクラス)に新入生を迎える。 その③ソーラークッカーの普及準備。 その④巡回医療の準備。 その⑤事務所(アフガン難民を支える会‐SORA)の引越し。 その⑥新しいSORAの事務所では、犬を飼える敷地がなく、犬をアフガンからパキスタンへ引き取ること。

この、犬をパキスタンへ引き取るというのが最難関で、この1ヶ月間余は犬のための通行許可や、検疫、輸入許可など等の取得でスタッフたちは大変だった模様。
犬は2匹とも毛足の長い雑種で、何処にも分類し切れない姿をしている。しかし(アフガンでの)役所は検疫済み証明書などに、血統(生まれ)オランダ産と書いてくれたから笑えた… こやつ等はオランダ生まれであったか…

なにはともあれ、昨日(夜)は土砂崩れの開通した道を、カーブルから18時間もかかって犬たちがイスラマへ無事到着、ホッとした。
ただしイスラマではすでに5匹もの犬を飼っているので、もうこれ以上は飼いきれず、ギルギットの母子保健指導センターで飼うことになるのだが。オバハン自身も今週末からしばらくはギルギットのセンターで暮らすことになる。

バタバタ忙しい毎日で、活動季節の到来だな~~と、思う。

先月末は真夏を思わせる陽射しだったのに… 2日夕刻からは雨模様の空になり、4日からは土砂降りの氷雨が続いて片付けたストーブが欲しい。4月にしては寒く、濃い夏色に変わった樹木たちも驚いているようだ。
その4日から北方地域(ギルギット)行きのフライトに乗るべく、毎朝5時に空港へ通っている。空港では3~4時間以上も待たされた挙句、「本日は荒天のためにフライトをキャンセルします」と言われて家へ帰って来る情けなさ… 半日がシッカリとつぶれ、何をする気にもなれないくらいに疲れが酷い。
北方地域のフライトに関しては、悪天でのキャンセルが多い故に、今まではノーショー・チャージが導入されていなかった。それが今月から(席が取れているのを)自分勝手にキャンセルした場合はノーショー・チャージがかかるようになった。で、毎朝の空港通いが止められないのだが、4日間もの連続で飛ばないのには、大概めげる。


先月末、ギラニ首相による施政方針が述べられ、野党をも含む歴史的な満場一致によって「首相支持」が表明された。
国民の生活に直結している主食の小麦粉は(質は落ちたが)、市場で品薄になることもないし、安定価格で出回っている。停電もスッキリなくなった。最大の争点になっている最高裁長官(および60人余の司法関係者)の復職も、国会で審議される。ただし最高裁長官については、その「権力」を行使出来ないポジションに置くことが、与野党全員の一致した願いであると。
「あんな(人喰いオオカミのような)最高裁長官を元の地位に戻せば、ムシャラフだけではなく政府関係者(議員や大臣も)からも多数の縄付きを出すことになり、国政が滞る」というのが最大の理由らしい。
また復職させることで、3年間は公職選挙法で縛っておく(選挙に出させない)方針だという。

ブット元首相の夫ザルダリは、キングメーカーとして君臨する道を選ぶようで、補欠選挙には出ないと。わざわざ議員にならなくっても国会や各種会議には何時でも自由に出られるのだそうだから、名より実を取りビジネスに有利なポジションを選んだというわけか…

ギラニは温厚であるだけに現政府に対して反対するパーティは無く、それだけに政府が陥り易い視野狭窄の欠陥をメディアがドンドン指摘せよ、叩けと、なかなかのモノらしい。メディア出身者らしい配慮と言えるかも。
ギラニの首相就任以来、目立って大きな動きも無く、このまま落ち着いて欲しいとオバハンは毎日、念じている。

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