30年ぶりに50日も滞在した日本。田舎ではネット環境も整わず、「申し込んでも2~3週間もかかる」とか言われてしまうと、もしかしたら滞在予定が変わって1ヶ月以内にパキスタンへ帰ることになるのかも…と、申し込みに踏ん切りがつかずグズグズ。
たまぁ~~に知り合いのところでネットに繋いでみるくらいで、静かな田舎生活だったわ。オバハン便りをこんなに休んだのは、10年におよぶ「通信」の中では初めてかも。パキスタンへ帰って来て、ようやく自分の生活ペースになったので、またゾロ「きまぐれ」にパキスタン通信を再開。

しばらく休んでいたから… IDやパスワードも忘れて…自分のブログへ入るだけに時間がかかった…。
ではでは、みなさま今年もどうぞ、よろしくお願いいたします。


写真家の森住さんが、「昨年から手材してきた、沖縄慶良間諸島の渡嘉敷島と座間味島の集団自決で生
き残った方のインタビューと写真でようやくまとめる事ができた」とのこと、高文研から出版。
http://www.koubunken.co.jp/0425/0413.htmlから出版されました。 戦争のもたらす残酷さを多くの人々に知らせることで、この国が戦争への道を再び進もうとしていることに警告をならしたいと。

皆さんへのお願い。★この本を購入してください。そして、お知り合い友人に宣伝してすすめてください。また★お住まいの近くの図書館に購入リクエストしてください。

TVニュースの画面から地震の全容が徐々に判って来た。余震が続き、家を失くした被災者は4万人、負傷者は3万5600人、犠牲者も300人近くと増え続けている。壊れた家の多くは細い柱が入っただけの日干しレンガ(もしくは、単なる泥)積みで、それを手作業で掘り返し家族を捜す映像も3年前を思い起こさせる。 とはいえ3年前のパキスタン大地震に比べるとスケールは10分の1くらいと小さい。(パキスタン地震:国連発表では死者8万7000人、被災者400万人)
そのせいか、ニュースにも「被災者支援」に対する熱気があまり感じられない。パキスタン国民の多くから見れば、クエッタは馴染みが薄い。そこからさらに2~3時間も山の中のジアラット近くなど…外国にも等しい。ジアラットは、かっては美しい樹林帯の中の避暑地として一部には知られていた。しかし、ここ数年、治安の悪化でクエッタの金持ちたちも足を運ばなくなったと聞く。

ジャパン・プラットフォーム傘下の大NGOが、被災者支援の方策を探っていて下さるそうだが、現地はパキスタン地震の時とは異なり、なかなか大変だ…。 ごくごく最近の様子を知らないが(改善されたとは思わないから)少なくともクエッタから郊外へ外国人が自由に走れるような状況にはないと思うべきだ。政府とクエッタの部族関係者との数々の摩擦。ムシャラフからPPPへと政権が変わったからといって、解消されてはいないと思う。 
政府関係者の多くも政府ナンバーの車ではクエッタから外へは走らないように気を付けている現状では、外国人が支援活動だからといって自由に出入りが出来ないだろう。走るための許可、護衛をつけるなど…なかなか大変な支援となるのが目に見えるようだ。

みなさま、地震のお見舞いを頂き、有難う存じます。
幸い、イスラマバードは震源地からも遠くて、揺れも感じずに済みました。が、被災地ジアラットは(確か標高が2500m以上もあったように記憶しているので)被災された方々には寒さも一入だと思う。クエッタ在住の知り合いからは、余震が続いている旨の連絡があった。

報道では、家を失くした人が1万5000人以上、被災死者が200人近くにもなったと。今後、被害の実態が徐々に報じられることだろう。被災者への支援については、ジャパン・プラットフォームなど等が対応すべく調査を始めているようだ。 オバハンは今のところ手がイッパイで身動きは出来ず…この災害については役立たずだ。被災者のみなさま、お詫び!

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