陽射しが春めいて降雨もないことから土砂崩れの心配も無いと、1月下旬は久々に大地震の被災地へ行っていた。まだ明けやらぬ朝に事務所を出て、明るくなった頃に道端の茶店で白い息を吐きながらパキスタン式の朝ごはんを食べるのも災害時と変わらなければ、その後、帰宅までの10数時間、食事なしで居るのも被災地通いをしていた4年前と、なんら変わることはない。
事務所のスタッフは2ヶ月に1回くらいは村のセンターへ通うが、この時期は村への山道を上がれないので、オバハンたちはバラコットまでだけにした。

しかし、この1年ばかりで激震被災地のバラコットにも観光客用のホテルが幾つか再建され営業を始めていたし、全壊滅した丘の上の家々もコンクリートやブロックで再建されていた。レッドゾーンである地域での建設は政府によって禁止をされていたのだが、代替地のニューバラコット市には道路が建設されたのみで、何のインフラも出来ていないのだから移り住む気にはなれないという。さもありなん…

被災地の家族たちはそれぞれに元気だった。額に裂傷を負っていたナシマも14歳になり、オバハンより背が高くなっていた。相変わらず家は僅かなトタンを葺いただけでドアもない掘っ立て小屋だし、この寒さの中で働き手も無く、どう暮らしているのかと思いながらも、聞いてしまえば要支援に決まっていると想い、怖くて聞きそびれてしまった……。
テント村に来ていた12~14歳の美少女たちは結婚したり、近々する予定の者ばかりだ。3月は結婚式の季節だ、是非、出席してくれと医療テントを張らせて貰っていた家の家族たちにも懇願されたが、3月は忙しい…(その中の1人が、きょうはイスラマバードまで来たからと、事務所へ寄ってくれた)。 しかし、彼女たちの花嫁姿も目にしたいものだ、どんなにきれいだろうか。